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仮名手本忠臣蔵七段目・祇園一力茶屋の場
歴史・背景

 現代までおよそ四百年の歌舞伎の歴史の中で創りだされ上演された作品は何千作にも のぼります。そうした作品群の中で初演以来最も多く上演され、そして日本人にとっ て好感度ナンバーワンの作品は『仮名手本忠臣蔵』です。
 元禄十五年(1702年)といいますから、約290年前の十二月十四日未明、元君 浅野内匠頭のうらみを晴らすため大石内蔵助を頭とする四十七士が敵の吉良上野介を討った、いわゆる「赤穂浪士」の討ち入りをあつかったものです。この義挙を知った 民衆は喝采を叫びましたが時の政府(幕府)は困惑しました。
 議論百出、ついに「喧嘩両成敗」の法の基本によって大名以下の人々に切腹命じられました(討首に比べて切腹は武士にとって名誉のことでした)。政府内に同情の声が高かったほどですから市民(民衆)たちが彼等の死を惜しみスター化していったのも無理がありません。二月四日に義士が切腹して死にますが、早くもその二週間後の十六日には江戸の中村座という劇場で上演されましたが、さくが話題が生々し過ぎました。当局はこの劇の上演を三日で中止させたのです。それから五年後近松門左衛門が、浄瑠璃『基盤太平記』を書き人形芝居で上演されました。その後は歌舞伎の方でもたびたび上演され、そのつど好評を博しましたが、討入りから四十七年目(義士の人数と仏教の年忌にちなんでいます)の寛延元年(1748年)大阪の竹本座で人形浄瑠璃として『仮名手本忠臣蔵』は初演され、すぐに歌舞伎に移されて、今日まで日本の戯曲と代表しつづけているのです。  大名(大星)以下の人々の苦悩に満ちた討入りまでの困難がテーマですが七段目では、大星の苦悩と平右衛門の義心、おかるの悲劇が描かれます。忠臣蔵という作品のエキスがこの一力茶屋に凝縮しています。

ストーリー



 京都の一力茶屋で由良之助が吉良仇討ちの為の密書を読んでいます。密書は屋外で 読んでいたので、他の者に盗み読みをされてしまします。
 おかるは、他の座敷から戻り、次の間で休んでいます。彼女は手にしていた手鏡で 由良之助の読んでいる密書を、恋文と勘違いして盗み読みをしてしまいます。気が 付いた由良之助は何気ないふりをして、おかるを側によび寄せます。


彼女の身の上 話を聞き、この場所から身請けをしてやるとおかるにいいます。おかるは愛しい勘 平に会えると大喜びしますが、これには由良之助に密かな企みがありました。「後 で話をつけてやる」と約束した由良之助は部屋に戻ります。


残ったおかるが、家に 手紙を書いていいるところへ兄の平右衛門が妹を探しにやって来ます。彼は、父が 殺された恋人の勘平が自殺した事をおかるに伝えに来たのでした。しかし、なかな かなか言い出せず困っているところにおかるが由良之助に身請けして貰えることを 告げます。実は兄の平右衛門も、身分は足軽ですが由良之助の配下であり仇討ちに 参加できればと考えている一人でした。
 おかるの話から、由良之助の心を読み取りその企みを自らの手で果たそうとします。 それは、おかるを殺す事でした。由良之助は密書をおかるに読まれたと思い、一度 身請けしてから手に掛けようと思ったのです。


平右衛門の殺気を感じたおかるは逃 げますが、彼の口から父と勘平の非業の死を聞きます。ショックで痙攣をおこす彼 女を介抱する兄。やがて、落ち着いたおかるは、全てを知り兄の手に掛かって死ぬ 事を選択します。
 いざ、殺されるというとき由良之助がそこに現れ、二人を止めておかるを助け平右 衛門に新たな密命を授けます。

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