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歴史の古さを受け継いだ蔵のまち喜多方は、訪れる人の郷愁を誘い、安らぎを与えてくれる町です喜多方の地名は、江戸時代、会津藩内の北部に位置していたので「北方」と呼ばれたことに由来しています。市内には新旧織りまぜて、たくさんの蔵が点在しています。堅牢で重厚な中に、素朴な美しさを感じさせてくれる蔵は、見る人に懐かしい感情を呼び起こしてくれ、喜多方に カまれ育った人々の心の遺産になっています。市内にこれほど蔵が造られたのは、藩政時代の倫理思想に根ざしています。中江藤樹(1604〜1648)の学を受け継ぐ淵岡山(1617〜1686)の教えで、藩学であった朱子学とは異なり、積極的な経済活動を是認し、苦難に耐えて働くことの理 を説いたものです。この教えは、一般商家や農民の中に浸透し、蔵を持つことが豊かさを象徴するようになりました。そして、蔵の建造こそが男一代の誇りであるという心根をはぐくんだのです。 |
取材協力:会津喜多方地域ネットワーク推進協議会
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