石燕曰く |
歌に、古しへの文見し人のたまなれやおもへばあかぬ白魚となりけり
かしこき聖のふみに心をとめしさへかくのごとし。ましてや執着の
おもひをこめし千束の玉章には、かかるあやしきかたちをも
あらはしぬべしと、夢の中におもひぬ。
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解説 |
「徒然草」の第七十二段では、「多くて見ぐるしからぬは文車の文、
塵塚の塵」と、「百鬼徒然袋」の前に記されている塵塚怪王と同時に
発案したのではないかと思われる記述があります。
文車(ふぐるま)とは、宮中などで文章を運ぶための車のことです。
石燕は、「聖が書いた文章に心がこもっていると紙魚になってしまう
んだから、情念がこめられた千通もの手紙が妖怪になってもおかしく
ない、と夢の中で思った」といっています。
「付喪神絵巻」には文台の妖怪である「古文先生」が妖怪の中の学者役
として登場します。
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