今昔百鬼拾遺 霧之巻

(国立国会図書館所蔵)

石燕曰く 殺生石は下野国那須野にあり。老狐の化する所にして、鳥獣これに 触れば皆死す。応永二年乙亥正月十一日、源翁和尚これを打破すといふ。
解説 「玉藻の草子」によると、久寿元年(1154年)の春に、鳥羽院の御所に 美しい遊女があらわれました。たちまち院の寵愛を得て、「玉藻の前」と 名前を変えました。しかし、院の容態が悪くなり、陰陽師が占ったところ、 「玉藻の前」に変化した妖狐のせいで、その妖狐は天竺、中国を経て やってきたのだとわかりました。
逃げ出した八百歳の妖狐は栃木県那須野で討ち取られましたが、 その妖狐は石に変化し、その石は周囲の動物を殺してしまうので、 殺生石と呼ばれました。もっとも那須野では硫黄の噴煙が上がり、 現在でも気分の悪くなる人がでるくらいですから、小動物が死ぬのも 当然かもしれません。その殺生石は源翁和尚が打破ったということです 。そのため、カナヅチのことはゲンノウとも呼ばれるそうです。
謡曲「殺生石」では石に変化した野干と玄翁和尚の間の激しい動きの ある能になっています。