石燕曰く |
八橋とか言へる瞽しやのしらべをあらためしより、つくし琴は名のみにて、
その音いろをきき知れる人さへまれなれば、そのうらみをしらせんとてか、
かかる姿をあらはしけんと、夢心におもひぬ。
|
| |
解説 |
石燕の言う八橋は八橋検校のことであり、八橋検校は八橋流箏曲の祖で、
筑紫琴というのを始めたそうです。しかし、石燕の頃にはすでに筑紫琴は
廃れていて、名前しか残っていないので、その恨みがこのような姿で
現れたのであろうか、ということです。次の「
琵琶牧々」「
三味長老」も
含めて、楽器は昔から弾き手の情念がこもりやすく、妖怪になりやすい
といえるでしょう。
琴の妖怪は「百鬼夜行絵巻」(真珠庵蔵)にも描かれていて、石燕も
描く際に参考にしたのではと思われます。
|