bogomil's CD collection 19
ベートーヴェン:《月光》ソナタ
百聞は一見にしかず
Beethoven: "Moon-light" sonata

 いつの頃からか、ピアノを勉強する人たちのあいだで、バッハやベートーヴェンの原典版の楽譜が使われるようになった。もっとも、正確にいうと、先生が「原典版の楽譜を使いなさいね」というようになったからかもしれないし、あるいは、印刷が美しく読みやすいH版が、たまたま原典版だったからかもしれない。
 それはさておき、本来、演奏する立場で原典版を使う、ということは、作曲者の意図を尊重する、という姿勢を意味する。そして、この姿勢を押し進めて、「作曲者の意図した響き」を再現しようとするとき、そこには、楽器の問題が出てくる。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンから、ショパン、ドビュッシーに至るまで、程度の差こそあれ、現在のピアノとは違った響きの楽器を使っていたからである。このところ、古典派の作品については、当時のピアノで演奏された録音が増えてきた。そして、これらの演奏を聴くと、いろいろ、おもしろいことに気付く。
 最近、筆者が考えさせられたのは、ベートーヴェンのフォルテの問題。結論を先にいうと、ベートーヴェンのフォルテは、かなり荒削り、破壊的、グシャッとした感じで、決して美しいフォルテではないということ。クリスティーン・ファロンの演奏する、「月光ソナタ」の第3楽章を聴いてみよう。まず、出だしからして衝撃的。第2、第4小節の4拍目右手にくる8分音符の和音(sf)。現代のピアノによる演奏では、丸い響きで、倍音が弱く、雑音成分はほとんど聴かれない。ところが、ファロンの演奏している、1788年シュタイン製作の楽器のコピーでは、金属的で、まるでシンバルをたたいたような衝撃的な音になっている。第33、37小節の8音からなる和音(ff)もすごい。びっくりするような音で、とてもピアノの音とは思えない。しかし、これが、ベートーヴェンの意図した響きなのだろう。ベートーヴェンは、ここで、思いきり、ピアノをたたいて衝撃的な激しさを出したかったのだろう。この演奏を聴くと、彼の音楽の頑固で激しい性格がよくわかる。これらのことは、楽曲分析の本や、陳腐な常套句で語られる評論などの文字資料からは、なかなか理解できないし、原典版の楽譜をためつすがめつ、目で見て、あれこれ考えても、おそらくわからないだろう。
 「百聞は一見にしかず」という諺がある。これに対して、「音楽の場合は、百見は一聞にしかずだね」ということを、しばしば耳にするが、これは、「見る」ということと「聞く」ということの意味を誤解したとらえ方だ。「百聞は一見にしかず」という場合の「聞く」というのは、間接的に知ること、「他人から聞くこと」を意味し、「見る」というのは「自分の目で見る」という意味ではないのか。つまり伝聞で知るよりも、直接、自分で接することの重要性を説いたものだから、音楽の場合にもあてはまる。決して「百見は一聞にしかず」とはならないのである。
 しかし、現実には、この誤った「百見は一聞にしかず」が当てはまるケースが結構見受けられる。「○○コンクール入賞」とか、音楽ジャーナリズムの仕組んだ宣伝まがいの評論や、デッチ上げられたブームに乗せられて、コンサートのチケットを買うような場合。そして、さらに悪いことには、手抜きの演奏を聴かされても、まだ「自分はいい演奏を聴いた筈だ」と、だまされたことに気付かないお人好しの愛好家。自分の目で見ても、本質を見抜けず、メディアに植え付けられた先入観で価値判断してしまう。だから、筆者は、「歴史的楽器を使う演奏でなければダメだ」というようなことをここで主張しようとは思わない。これがまた一種の流行になれば、猫も杓子も「コガッキ、コガッキ」となるだろう。
 音楽において、もっとも重要なのは演奏者の力量だ。すばらしいピアニストであれば、学校の体育館にある、君が代と校歌の伴奏用のアップライト・ピアノでも、聴く人を感動させられるのであり、逆に、ウン千万円もするコンサート・グランドを使っても、つまらない演奏はつまらないのである。同様に、当然のことながら、歴史的楽器を使っても、つまらない演奏、凡庸な演奏は存在する。
 それでもなお、筆者が、歴史的楽器による演奏を評価するのは、多くの場合、それが作品をもっとも活かすように思えるからだ。これは、かつて来日したフォルテピアノ奏者、メルヴィン・タンに教えられたことである。「なぜ、ベートーヴェンやシューベルトを歴史的な楽器で弾くの?」という質問に対して、気さくな彼は、「現代のピアノで弾くよりも〈楽しい〉からさ」と、いともあっけらかんと答えた。聴く立場でも同じ。現代のピアノの響きを好む人は、バッハであれ、ベートーヴェンであれ、現代のピアノによる演奏を聴けばよい。個人の好みの問題、「これが正しい」などと押し付けることはできない。
 ただし、「食わず嫌い」はいけないから、念のため、歴史的楽器による演奏も、一度は聴いておくべきだ。ちなみに、現在では、数は少ないものの、ショパン、シューマン、リストあたりまでのピアノ曲を、彼らが使っていた当時の楽器を復元して演奏した録音が入手可能である。このペースでいくと、近い将来、おそらく、ドビュッシーあたりまで、歴史的楽器で演奏されるようになるだろう。それを聴くまでは、多少ボケても生きていたい。
Discography:
Beethoven: Hammerklavier-Sonaten Op.31,2....(Christine Faron),Koch Schwann, CD 310 064 H1
92/10 rev.95/07
【付記】
 その後、1993年にドビュッシーをオリジナル楽器(1897年製エラール)で演奏したCDが発売された(Claude Debussy - Jos van Immerseel. Channel Classics CCS 4892)。ただし、インマゼール自身は、「適切なピアノを探しただけで、別にオリジナル楽器にこだわったわけではない」という主旨のことを書いている。
92/10 rev.95/11
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