bogomil's CD collection 18
アイヴズ:管弦楽作品
「私は生活のための作曲はしない」
Ives: Orchestral works

 上野にある某芸術大学の美術専攻の学生は、どんなに生活が苦しくても、自分の専門に関係するアルバイトはせずに、道路工事などの肉体労働をする、という話を聞いたことがある。専門技能を活かせば、割のいい仕事ができそうに思えるが、そういう仕事は、敢えてやらない、というのである。これは、すぐ金になるような、俗受けするような仕事をやっていると、やがて、自分の芸術がダメになるから、気をつけなければいけない、ということらしい。安直に、金のために自分の才能を売ってしまってはいけないのだ。
 この話、どこまで現実にそうであるかは別として、芸術で生きていくことの難しさを象徴していて興味深い。音楽の分野に適用してみると、どうなるだろう。たとえば、ピアニストを目指す音大生。都心の高級ホテルのレストランでピアノを弾く話がくる。ギャラはいいし、彼女にとっては、ポピュラー曲を遊びで弾くようなもので、難しい仕事ではない…。とまあ、こんな状況になるだろう。果たして、彼女はこの仕事をするべきかどうか。前述の「美術学生の原則」を適用すると、答えは「ノー」である。この場合なら、たとえ、時給ははるかに安くても、レストランの皿洗いのバイトをするべきだ、ということになるだろう。
 アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴズ Charles Ives(1874-1954)は、この問題について、興味深い答えを出したようだ。彼は、大学で、正統的なクラシックの作曲の勉強を続けるうちに、自分の書きたい曲だけを書いていたのでは、まず作曲家として生活していけない、ということを悟った。だからといって、彼は当時のアメリカのクラシック界やアカデミズムに受け入れられるような曲を書く気にはなれなかった。結局、彼は、友人と保険業を営むことで生計を立てることにし、作曲の方はあくまで自分の信念に基づいてやっていく、自分のやりたいようにやっていく、という方法を選んだという。アイヴズは、作曲に関しては一切、妥協しなかったのである。
 作曲家が、自分の好きなように作曲して、一般大衆や評論家の理解を得られればそれはそれで結構なことだが、現代のように多様な価値観がめまぐるしく変化する時代では難しい。商業主義の支配する現代社会では、「よい音楽は理解される」といった素朴な理想主義は通用しない。だから、アイヴズの生き方を誰も批判はできないのである。この点では、同じアメリカの作曲家でも、ある時期から一般大衆向けの音楽と、高度に前衛的な作品を区別して作曲するようになったといわれるコープランドとは対照的だ。
 アイヴズの音楽には、ニュー・イングランド地方の自然と精神風土への愛着を示す面と、極めて自由な、前衛的な面とがあり、また、この両者が混在している作品もある。《ニュー・イングランドの3つの場所 Three Places in New England》(1903-1914)の第3曲、《ストックブリッジ付近のフーサトニック河 The Housatonic at Stockbridge》は、演奏時間4分弱の管弦楽小品だが、ここで体験される主観的時間は、日常的な4分よりは、はるかに長い。不協和な弦の響きを基調としつつ、のどかなフォスター風の旋律が、何かを回想するかのように、あるいは幻影のように浮び上がる。時間は静止しているようでもあり、ゆるやかに流れているようでもある。この作品は、全体としてなんとも不思議な感じがするが、これは、ひとつには無調的な音楽に、ごくふつうの調性のある旋律が重なる、という一種の多調性polytonality が用いられていることによると思われる。
 《夕暮れのセントラル・パーク Central Park in the Dark》(1906)を支配している雰囲気も、どこか謎めいている。老婆心ながら説明すると、高層ビルの林立する大都市ニューヨークの中にある長方形の緑地、セントラル・パークは、ここだけ「開発されずに残った自然」ではない。これは、造成された、いわば作り物の自然、日本のゴルフ場のような、自然を装った人工物だ。
 さて、この作品では、都会のほこりっぽい喧噪を象徴するかのようなブラスバンド風の音楽が現れ、場違いなほどのけたたましさに高まる。これは、非常に面白いテクニックだ。なぜなら、この曲は「音楽のある情景」を描写している、つまり、ブラスバンドが練り歩いている公園の情景を描いていることになるからだ。音楽で鳥の鳴き声を模倣したりする、いわゆる「描写音楽」はよくあるが、音楽で音楽を描写してしまう、というのは珍しい。「劇中劇」ならぬ「曲中曲」とでもいったらよいだろうか。このテクニックは、同じくアイヴズの《カントリー・バンド行進曲 Country Band March》(1903)では、より徹底的に用いられている。ここではブラスバンドの音楽や、アメリカの大衆的な音楽が、あたかもコラージュのように脈絡なく連なっていく。ここでも多調性やポリ・リズムの手法が随所に使われている。
 アイヴズのいくつかの作品には、人を安易に寄せつけない厳しさ、あるいは頑固さもある。ピアノ・ソナタ第2番《マサチューセッツ州コンコード、1840-60》など、音楽そのものも難解だが、各楽章の標題となっているエマーソン、ホーソン、オルコット一族、あるいはソローといった思想家、作家の背景の理解は、はるかに難しいと思われる。
 しかし…いや、だからこそ、彼の妥協のない音楽は、超然として流行とは無関係に生き続けることだろう。もし彼が、当時のヨーロッパの音楽界からは孤立して、無調、複調、微分音といった前衛的実験をまったく独自に行ったのなら、真に驚異的と言わざるをえない。
Discography:
略号:
a=Three Places in New England
b=Central Park in the Dark
c=Country Band March

Ives:Symphony No.4 - Three Places in New England (Gramophon 4230243-2) a,b収録
The Orchestral Music of Charles Ives (koch international classics 3-7025-2) a,c収録
Ives: Symphony No.2 - Central Park in the Dark etc. (Gramophon 129 220-2) b収録
92/10 rev.95/11
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