bogomil's CD collection 16
バルトーク:《ミクロコスモス》
自分で弾く20世紀のピアニズム
Bartok: "Microcosmos"

 最近の世の中の風潮を見ていると、何事につけ、何かを自分でする、ということが少なくなってきている。この傾向は、テレビ番組にもっとも端的な形で見ることができる。たとえば、スポーツ番組。野球にせよ、マラソンにせよ、自分でプレイするのではなく、人がプレイしているのを画面で見て、興奮する。マラソンなどは、見ているだけで、疲れてしまって、何かこう、自分が走ったような錯覚にとらわれるくらいだ。本来は自分の身体を動かすことによって感じる何かを、視覚だけから、いわば疑似体験してしまうのである。
 次に、最近、よく目にするグルメ番組。当初、筆者はグルメ番組というのは、ぜひ、その店に行きたくなる、という強い効果があるのではないか、と考えていた。確かに、見た直後は、「行ってみたい」という気になるのだが、その気持ちはすぐに消えてしまう。で、しばらくして疑問がわいてきた。これもまた一種の「疑似体験」で、見ただけで、あたかもその店に行って食べたかのような錯覚に陥っており、満足してしまったのではないか。もしそうだとすれば、グルメ番組は、店の宣伝にはならないかもしれない。みんな、テレビで見ただけで満足してしまうのだから。むしろ、情報が表に出ない「謎の店」とか、「知る人ぞ知る」という店の方が、集客力があるのだろう。何事につけ、神秘的で、隠されている方が、興味をそそるものだ。
 さて、こういうふうに考えていくと、テレビは、すべからく疑似体験と錯覚の世界に私たちを引き込んでいる、といえる。トレンディ・ドラマは、素敵な恋を疑似体験させ、ミステリー、サスペンス・ドラマは、謎解きと、犯罪の疑似体験をさせてくれる。これらすべては錯覚と幻影。よーく考えると、ちょっと虚しくなってくる…。
 音楽はどうだろう。いい音楽を自分で作り、自分で奏で、自分で楽しむことができたら理想的。しかし、社会が複雑化するにつれて分業が進み、現在では、作曲家、演奏家、聴衆というように完全に分離してしまった。考えようによっては、ただ聴くだけの「聴衆」というのは、ちょっと寂しい。あまりにも、受動的だ。何か自分で演奏できれば、音楽にかかわっている実感がわくし、また、音楽から得るものも違ったものになるのではないか。
 この意味では、昨今のカラオケブームというのは、いろいろ問題はあるにしても、とにかく、「自分で歌う」という能動的側面は評価するべきで、のべつウォークマンで、あるいは自分の部屋で、あれこれ音楽を聴いているだけの音楽ファンに比べれば、はるかに健全といえるかもしれない。プロでも、作曲家が作った曲を決ったパターンで歌うだけの演歌歌手よりも、アドリブのできるジャズ歌手の方が格が上に思えるし、シンガー・ソング・ライターは、本来の意味での音楽家といってよいだろう(ただし、ほんとうに彼らが自分で書いていれば、の話だが)。
 社会も音楽も高度に発達した現在、すべての人が作曲からやる、というのは無理にしても、何か楽器を演奏したり、あるいは歌を歌うことは決して不可能ではない。メディアが発達した現在、中途半端なプロは不必要で、自分のために演奏するアマチュア演奏家がもっと増えるべきだと筆者は思っている。
 この「アマチュア」という問題、クラシックのピアノについては、どうだろう。技術的に簡単なものは、聴いておもしろくない、逆に聴いておもしろいものは、技術的にむづかしくて、アマチュアには無理、という感じがある。しかも現在、名曲の名演奏はFM放送やCD、カセット簡単に聴けるから、いくら自分で弾く楽しみがあるとはいえ、簡単な曲しか弾けなければ、ちょっとみじめになってくる。
 ところで、中学生ぐらいになると、受験勉強のためにピアノをやめる生徒が多くなる、という話をしばしば耳にするが、筆者は受験勉強のせいだけではないような気がする。そろそろ大人になる彼らを夢中にさせるようなピアノ曲が、今の日本のピアノ教育で教えられているのかどうか、大いに疑問だからだ。特に教材とされるピアノ曲が、十年一日、古典派からロマン派あたりの、しかも特定の作品に限定されていることは問題だ。バロック以前と、近・現代をもっと広く取り入れて、選択の幅を広げた方がよいのではないか。
 現代の側で、もっと取り上げられてよい、と思われるのがバルトークの《ミクロコスモス》。この曲集は、さまざまなピアノの表現を駆使している、という点でおもしろいと同時に、技術的に段階を追って進める、という点ですぐれた練習曲でもある。ある程度、ピアノを学んだ人ならば、第4巻あたりから弾いていくといい。技術的に無理なく、現代的なピアニズムを(疑似体験ではなく)本当に自分自身で演奏することによって体験することができるだろう。今回は、ただ単に聴くためのCDとしてではなく、自分で弾くためのお手本としての、CD紹介である。
Discography:
Bartok/Microcosmos Integrale. Claude Helffer, piano. (harmonia mundi france, HMA 190968.69)
92/08 rev.95/12
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