bogomil's CD collection
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バルバトル:クラヴサン曲集
チェンバロの音は貧弱?
Balbastre: Piece de clavecin
チェンバロからピアノへの移行に関して、しばしば「チェンバロは音量が小さく、また音に強弱をつけられないので、ピアノに取って替わられた」という主旨のことが書かれる。これはこれで、間違っているとはいえないが、「チェンバロは、ひ弱な楽器」という印象を与えてしまうとしたらちょっと問題だ。
確かに、チェンバロは千人規模のホールで演奏するには音量が小さく、現代のピアノには太刀打ちできない。しかし、然るべく作られた鳴りのよいチェンバロを、適度な残響を持つ100席程度の小さなホールで演奏するなら、充分な音量が得られる。もっと小さく、かつ適度な残響を持つ室内ならば、強すぎるほどに感じられることさえある。
かつては、筆者も、チェンバロの音は貧弱だ、と思っていた。20年ほど前、筆者が最初に弾いた(というよりも、さわった)楽器は、今ではあまり見かけなくなったドイツ某N社の、いわゆる「モダン・チェンバロ」。ピアノ並みの重い楽器で、弦も高張力で張られており、低音弦には、捲線が使われていた。当時日本では、ヒストリカル・チェンバロ(17〜18世紀の特定の楽器を復元したもの。コピーともいう)はほとんど知られておらず、レコードでも、モダン・チェンバロを使ったものが出回っていた。
やがて、レコードで、ヒストリカル・チェンバロを聴くようになり、その優雅で繊細な音に感激したものだが、それでも、「これは録音だから、はっきり聴こえるのであって、実際の音は、相当、か細いものなんだろうな」と勝手に決めつけていた。今となっては愚かな思い込みなのだが、この思い込みの背景には、「チェンバロは音量が小さく…」という、通説が作用していたといえる。
この思い込みは、日本のチェンバロ製作家、K氏の楽器を弾くまで、筆者の脳裏にこびりついていた。筆者の弾いたその楽器は、厳密にいうと、16世紀に流行したヴァージナルというタイプで、ケースは長方形、鍵盤は1段の、ごく小さいものだった。たまたま訪問した知人の家にあったものなのだが、この楽器を弾いて、筆者はびっくりしてしまった。高音は、やや余韻が短いものの、低音が素晴らしくよく鳴るのである。また、音域によって微妙に音色が異なるので、1段鍵盤であるにもかかわらず、表現が豊かで、たとえば、バッハの《半音階的幻想曲とフーガ》やパルティータなどを弾いても(もちろん筆者はヘタクソだから正確には「弾こうと試みても」と書くべきだが)、充分な手ごたえがある。2段鍵盤のモダンチェンバロで弾くよりも、はるかに楽しめる、というよりも、音楽に没入できる、という感じだった。いや、この楽器を弾いているときの気持ちは、「楽しい」などという軽い言葉では表現できない。キザな言い方になってしまうが、「深い感動をもって弾いた」とでもいわなければならないだろう。
その後、K氏の楽器をいくつか試奏する機会があり、いろいろ興味深い発見をした。まず、あたりまえといえばあたりまえのことだが、チェンバロにもひとつひとつ個性がある、ということ。同じ原型に忠実に製作したものであっても、木材の性質の微妙な違いからか、楽器ごとに個性がある。K氏は、同型の楽器を必ず2台製作する方針なので、工房にうかがって試奏させていただいたことがあるのだが、外見は全く同じでも、鳴り方は、明らかに違うのである。唯一、条件が違うとすれば、2台が置かれている位置だが、筆者には、楽器固有の音色が違うように思えた。また、2段鍵盤の楽器は必然的に大型になり、特に長手方向に大きくなるので、演奏している本人には、よく響いているようには感じられない傾向があるようだ。演奏者にもよく響いて聴こえる2段鍵盤の楽器は、相当よく鳴る楽器でなければならず、したがって、製作もむづかしいと思われる。自分ひとりで楽しむなら、むしろ前述のヴァージナルも含めて、1段鍵盤の楽器の方が、基本的によく鳴り、弾いていて気分がいい。
ヒストリカル・チェンバロといっても、時代や国によって性格が異なるが、やはり、ルッカースに代表されるいわゆるフレミッシュはよくできている。よく鳴るフレミッシュのコピーなら、まず、どんな曲を弾いても満足できるだろう。ただし、こう感じるのは筆者がまだ、質のいい、よく鳴るイタリアンやフレンチの楽器に触れたことがないからかもしれない。
そこで今回、紹介するのは、鳴りのよいチェンバロのCD。フランスのクラヴサン)音楽の最後の輝きというべき、G.B.バルバトルの作品を、 Ursula Duetschlerが演奏したCD*(この人、スイス生まれなので、読み方がむづかしそうだ。日本語版解説では「ウルズラ・デュチュラー」となっている)。使用している楽器は、18世紀にフランスで製作されたもの。楽器を非常によく響かせた録音もすばらしく、第1曲の《ブロンニュ》からして豪華絢爛。「チェンバロの音は貧弱」などという固定観念を豪快に吹き飛ばしてくれることだろう。
*Discography: Balbastre/Pieces de Clavecin Ursula Duetschler. Claves CD 50-9206、輸入元:キングレコード
【付記】
C.B. Balbastre/ I. Piveteau 《Du clavecin au piano-forte》(ADDA581160)も興味深いCDだ。ここでは、一般的な鳥の羽軸のプレクトラムと水牛の皮のプレクトラムを備えたJ.H.エムシュのチェンバロと、P.タスカン製のピアノフォルテで、バルバトルの作品が演奏される。水牛の皮のプレクトラムの音色はかなり柔らかく、チェンバロ独特の鋭さが後退している。17〜18世紀の音楽様式の変化に伴って、楽器の音色も変化したことがよくわかる。なお、このCDでは《ブロンニュ》がピアノフォルテで演奏されているので、デュチュラーと聴き比べてみるのも、おもしろいだろう。
94/11 rev.95/11
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