bogomil's CD collection 9
オーリック:《ローマの休日》のための音楽
Auric: music for the "Roman Holiday"

 「フランス6人組」は、ドイツ音楽偏重のわが国のクラシック界では、あまり取り上げられることはない。プーランク、ミヨー、オネゲルの3人は、まだ知られている方だが、他の3人、オーリック、デュレ、タイユフェールは、わが国ではほとんど無名といっても過言ではないだろう。恥ずかしながら、かくいう筆者も、オーリック、デュレ、タイユフェールの曲は数曲しか聴いたことはない…と長い間、思い込んでいた。ところが、ある時、オーリックに関しては、結構、聴いていたことがわかった。ただ「オーリックの曲」と意識して聴いてはいなかった、ということだったのである。
 ちょっと混乱した文章になってしまったが、映画ファンの方なら気付かれたことと思う。ジョルジュ・オーリック(1899〜1983)は、かなり多くの映画音楽を書いていて、中には、日本でも大変、人気を呼んだものがあるし、現在でも、ビデオ・カセットやLDで見ることができるものも多いのである。筆者は、それらの映画を見ることによって、それとは知らずにオーリックの音楽を聴いていた、ということになるのだ。

 これらの映画はみな、オーリックが音楽を担当したものだ。中でも有名なのがオードリー・ヘップバーン主演の《ローマの休日》。特に若い女性に人気のある映画だが、これは某国の王女様が、ローマで街に出て行き、身分を隠して、アメリカ人の新聞記者と楽しい一日を過ごす、という物語。スペイン広場の階段でアイスクリームを食べるシーンが有名になった。ややコメディ・タッチの軽い雰囲気と、適度に感傷的なラストが、オーリックの音楽によって巧みにコントロールされている。
 これに対して《恐怖の報酬》(最初に映画化された方で、モノクロ作品)はアクションもの。山奥の鉱山に危険な爆薬、ニトログリセリンをトラックで届ける、という話。ニトログリセリンはちょっとした衝撃でも爆発する性質を持つが、これを道が険しく、橋も壊れかけている山道を運んで行くのだからたまらない。ハラハラ、ドキドキの連続だ。そして、教訓的なラスト。見終わったあと、ちょとシニカルな、退廃的な気分になる映画だ。この映画では、スペイン風の響きを取り入れつつ、《ローマの休日》とは対照的な、緊迫感のある音楽が展開される。
 上述の2作が、現実的な物語であるのに対し、ジャン・コクトー監督による《オルフェ》は、幻想的な作品だ。物語は、ギリシャ神話にもとづくオルフェオとエウリディーチェの話で、モンテヴェルディやグルックのオペラでも知られているが、この映画は、現代を舞台にしつつ、非現実的な世界を描いているという点で、見応えのある映画に仕上がっている。同じくコクトー監督の《美女と野獣》も、モノクロの映像を巧みに活かした幻想的な場面に特徴があり、最近公開されたディズニー・アニメとはだいぶ趣きが異なる(ストーリーも異なっている)。
 さて、これら、オーリックが音楽を担当した映画に共通していえることは、音楽が自己主張しない、ということだ。映画音楽といえば、主題曲が映画を離れて独立し、ポピュラー化したものをまず思い浮かべるが、オーリックの映画音楽は、そうした形では有名になっていない。これは、オーリックの音楽に魅力がなかったからだろうか。
 筆者はそうは思わない。オーリックの音楽は、映像の背後にあって、観客にそれと意識されることはなくても、確実にその映画の情緒的な側面を支えている。むしろ、ある瞬間に音楽が突出して観客が「いい音楽だな」と感じるような場合は、映画全体としては失敗とさえいえるかもしれない。
 今後もオーリックは作曲家としては無名であり続けるだろう。しかし、彼が音楽を担当した映画の中には、不朽の名作として、これからも見続けられると思われる作品がいくつもある。とすれば、これらの映画を見る人が必然的に彼の音楽を聴く、という意味において、オーリックは6人組の他の5人よりも、「はるかに多くの人がその音楽を聴く作曲家」ということになるだろう。
 作曲家というのは、たとえ自作が演奏されることがなくても自分の名前が広く知られれば満足するのか、あるいは名前は知られなくとも自分の曲が広く聴かれることを喜びとするのか。オーリックはどう思っていたのだろうか…。今夜は久しぶりに《ローマの休日》を見、そして聴いてみることにしよう。
94/09 rev.95/10
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