さて、このグレゴリオ聖歌、以前は世界中のカトリック教会で、ミサなどの典礼で歌われていた。そのままいけば、ある程度、日常的に聴くことができるのだから、CDでブームになる、などということは起こらなかっただろう。
しかし、ここ20年ほどで大きな変化が起きた。現在もグレゴリオ聖歌はカトリックの正規の典礼聖歌だが、第2ヴァティカン公会議以後、母国語による聖歌も典礼に用いてよろしい、ということになった。信仰の面からは、信者が自分の理解できる言葉で聖歌を歌うことが重要である、とされたのである。その結果、ヨーロッパ人でさえ、ほとんどの人が理解できないラテン語によるグレゴリオ聖歌は、観光客目当ての大聖堂などでは歌われることがあるものの、一般の教会では次第に歌われなくなってきている。教会音楽の伝統がない日本のカトリック教会では、ほぼ消滅した、といっても過言ではない。1960年代までは日本でもクリスマスなどの大祝日のミサでグレゴリオ聖歌が歌われることがあったが、「意味もわからずにラテン語で歌うのはいかがなものか」という考え方が徐々に浸透し、現在では、少なくとも日本人を中心とするミサでは、まず歌われることはない。
このような状況でグレゴリオ聖歌がCDでブームになる、ということは、本来、歌われるべき場である教会では存続できなくなり、世俗の世界で生き延びざるを得なくなった、といえるかもしれない。他の可能性としては、一般民衆に根強い土俗的な(シンクレティズムを含む)カトリック信仰への回帰、あるいは東欧社会主義国家の崩壊と不況による進歩幻想の挫折からくる一時的な復古趣味、という可能性も考えられるが、いずれも後知恵の域を出ない。実際のところは、ごく偶発的なものだろう(日本でのブームは、相も変わらぬ欧米追随型である)。
さて、今回はこの種の古い時代の音楽の次なるブームを大胆にも、また無謀にも予測することにしよう。広義には「15〜16世紀の宗教合唱ポリフォニー・ブーム」。さらに限定して、ここではスペインの作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリアVictoriaのブームを予測したい。ビクトリアは、大局的にはパレストリーナに代表される16世紀後期の様式に基盤を置くが、一部の作品、たとえばモテト《おお、大いなる神秘 O magnum mysterium》に認められる劇的表現や、ある種の神秘性は独特のものだ。なお、この予測は「長期予報」であって、この場合、「長期」というのがどのくらいの期間を意味するかは、読者の判断に委ねたい。
*Discography:
《ビクトリア:レクイエム/ミサ/モテット》、ゲスト指揮、ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジ合唱団(LONDON POCL-2793)
94/08 rev.95/09[back to bcc Home]