bogomil's CD collection 6
バッハ:《フーガの技法》
音楽のガンコおやじ
Bach: The Art of Fugue

 バッハは、1723年にライプツィヒ聖トマス教会の音楽監督に就任した。しかし、このとき、どうもバッハは作曲家としてはあまり高く評価されてはいなかったらしい。当時ライプツィヒの当局者は、まずハンブルクにいたテレマンに白羽の矢を立てたが、結果的にはこの話はハンブルクでのテレマンの待遇をよくするために役だったに過ぎなかった。つまり、ライプツィヒは利用されたのである。
 次に有力候補となったのは、ダルムシュタットのグラウプナーという人物だった。しかし、ダルムシュタットのヘッセン公がグラウプナーを手放すことを拒み、昇給プラス・アルファという条件を出したので、グラウプナーもまたダルムシュタットに留まることになってしまった。
 こんな経緯で、2度までも音楽監督の獲得に失敗したライプツィヒの当局者たちは、「ま、しかたないか」というあきらめに似た心境で、「第三の候補」バッハを選んだと伝えられている。現代の私たちには、ちょっと信じられないことだが、生前のバッハはオルガニストとしては高く評価されていたものの、作曲家としては、それほどではなかったのである。さらに作曲家としてのバッハを、当時の他の作曲家と比べてみると、非常に興味深い問題にいきあたる。それは、当時の基準からしても、バッハがある意味では非常に保守的で、古めかしい様式にこだわっていた、という点である。
 ヘンデルやドメニコ・スカルラッティは、ほぼバッハと同年だが、音楽のスタイルはまったく異なる。大局的にはヘンデルもD.スカルラッティも、バッハよりはるかに古典派に近い。さらにバッハは、先輩格の作曲家と比べてさえ、保守的だった。
 たとえば、ヨハン・クーナウ(1660-1722)が作曲した《新鮮な鍵盤楽器の果実Frishce Clavier Fruechte》という曲集がある。7つのソナタからなるこの曲集、単純な和声的書法が優勢で、バロックというよりは古典派に近い。ところが、このクーナウはバッハよりも25才年上で、しかも、聖トマス教会の音楽監督を務めていた人物。このクーナウが1722年に他界したために、その後任をめぐって、前述のゴタゴタが起こり、最終的にバッハが後を継ぐことになったのである。
 クーナウのこの曲集は、題からすると新しい傾向を意識したものとみなせるから、当時の全般的風潮がこうだった、とまではいえないが、それでも、バッハの生前に、すでに音楽の趨勢は古典派的なものへと変化しつつあったことだけは確かだ。実際に、当時の音楽評論家の中には、バッハの作品を「過度に技巧的で難解」と評し、「もっと自然でなければダメだ」と書いている人物がいるが、これは明らかに古典主義的な音楽観からバッハを見たものといえるだろう。この評論家はバッハに個人的恨みがあった、とされているが、彼の批判はあながち見当外れではない。ライプツィヒの当局者が、バッハを重要人物と見ていなかった背景には、こういった問題も関係していたかもしれない。
 このような状況の中でバッハはどうしたか。彼は古い様式に執念ともいえるほどの情熱を傾けるようになる。晩年の2つの大作、《音楽の捧げ物》BWV1079と、《フーガの技法》BWV1080がこのことを象徴している。今回は、文字どおりフーガの作曲技法が集大成されている後者を聴いてみよう。
 この作品は、バッハが大譜表ではなく声部ごとの草稿を残したために、使用楽器については諸説がある。かつては、この作品はフーガの手本とでもいうべき抽象的なもので、演奏を意図したものではない、という説まであったが、最近では、鍵盤楽器、すなわちオルガンかチェンバロのためのもの、との説が有力だ。
 これを反映して、録音もさまざま。オーソドックスなオルガンによる演奏なら、まずヴァルハ(1956)だろう。特に、B-A-C-Hの主題が導入される未完のフーガは圧巻だ。ただこのヴァルハの演奏は、手堅いものの、曲が曲だけに、現代の感覚からすると、やや冗長に感じられるかもしれない。マリー=クレール・アラン(1974?)はさらにテンポが遅く、筆者としてはあまりお勧めできないが、オルガンのレジストレーションが曲ごとに工夫されている点は興味不深い。
 これに対して、グールドが前半9曲をオルガンで演奏した録音(1962)は軽快。グールド得意のノン・レガート奏法は、ピアノよりもオルガンに適しているのでは、と感じさせるほどだ。
 ピアノによる演奏もこれまでいくつか録音されているが、コチシュ(1984)がうまくまとめている。この他《フーガの技法》の演奏には、チェンバロによるもの(たとえばギルバート)、弦合奏(たとえばゲーベル/ムジカ・アンティクワ・ケルン)、オーケストラ(たとえばシュティードリ)によるものなどがあり、それぞれに面白さがある。
 もしかすると年老いたバッハは老人特有の頑固さと偏屈さからこの作品を書いたのかも知れない。あるいはまた、「この様式で作曲するのは、自分が最後になるだろう」という自負と、一抹の寂しさを感じていたのかも知れない。もし、そうだとすれば、バロックから古典派に向かう音楽様式の大きな変化の中で、このような作品を残したバッハに「音楽の父」などというレッテルを貼るのは、ピント外れ以外の何ものでもない、ということになるだろう。強いていうなら、バッハは「音楽のガンコおやじ」と呼ぶのがふさわしいのではないだろうか…。
*Discography:

94/6 rev. 95/08
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