フレミッシュ・チェンバロの位置づけ
フレミッシュ・チェンバロとは、16世紀から18世紀まで、フランドル地方(ほぼ、現在のベルギー、オランダ)で製作されたチェンバロの総称です。さらに、それらを初期フレミッシュ(16世紀中頃〜17世紀中頃)と、後期フレミッシュ(18世紀)に分けて呼ぶこともあります。中でも、アントワープのルッカース工房の楽器を代表とする、初期フレミッシュ・チェンバロは、当時から高い評価を受け、チェンバロ製作史上、重要な位置をしめています。
ところで、ヨーロッパのチェンバロ製作は数百年にもおよび、各地方、各時代で種々なスタイルの楽器が生み出されています。これらは、それぞれの地方で独自の材料を用い、人々の趣味や、音楽家、製作者の相互関係によって作り出された、お国がらのスタイルといえましょう。また、時代と共に、鍵盤の音域を広げ、音色変化の組み合わせを多様にするという音楽的要求からも、スタイルは変化して行きました。特にアルプスを境として、北と南では大きな相違があります。
南、すなわちイタリアを中心とする、地中海沿岸地方では、早くからチェンバロ製作が行われ、16世紀始めには、すでに、イタリアン・チェンバロの音響理念を備えた楽器が登場しています。その特徴は、次のような点にありましょう。つまりアルプス以南の針葉樹を響板だけでなくボディー全体に使用し、薄く軽い構造であること。そして、やや短めな基本弦長によるベント・サイドの深いカーブ。音色は明快、音の立ち上がりが鋭く、減衰は早めです。通常、一段鍵盤、8フィート2列のレジスターを持ち、この比較的単純な形式は、例外はあるものの、その後、長い間踏襲され、チェンバロ製作史上の一翼をになっています。
一方の流れ、北ヨーロッパのチェンバロ製作は、初期フレミッシュ・チェンバロにその源をたどることができます。中でも、アントワープのルッカース一族は、16世紀の終わりから3〜4世代にわたって、製作を続け、その親族に当たるクーシェを含めて、初期フレミッシュ・チェンバロを代表しているといえましょう。その楽器は、アルプス以北の広葉樹を基本的な材料とし、イタリアン・スタイルよりも厚手、やや重構造の楽器です。音色も重厚、音の延びも長くなっています。4フィートや二段鍵盤の付加などのアイディアも導入され、イタリアン・スタイルが保守的であったのに対し、より発展的に、次の時代のチェンバロへの橋渡しをしています。ルッカース工房の製作は、17世紀中頃まで続きますが、このフレミッシュの伝統は、その後、フランス、イギリス、ドイツなど各地へ受け継がれ、中期・後期バロックからロココへの音楽様式の変化に対応して各国で発展をとげることになります。
特18世紀、パリの製作者たちは、その時、すでに一昔前のスタイルとなっていたルッカースの楽器を、音域を広げたり、音色変化を可能にするためのレジスターを加えたりして改造することを、重要な仕事としていました。その作業をふまえた上で、彼ら独自の楽器、いわゆるフレンチ・スタイルのチェンバロが生まれてきます。
18世紀におけるフレミッシュの製作者たちもまた、時代の趣味や要求を取り入れて、彼らの伝統を発展させ、ドゥルケンなどの名工を生み出しています。
(柴田 雄康)
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