(1)橋がかり

鏡の間から本舞台に続く廊下のようなものは「橋がかり」と呼ばれています。

橋がかりは、もともとは舞台の後方についていて、役者の出入りのための通路でしたが、これが本舞台に対して斜め、あるいは横方向に近い場所についたことによって能の演技、および思想性に革命的な変化が起きました。

能のシテの多くは亡霊です。ですから、能舞台で演じられていることの多くはあの世のことだということができます。

そういう視点で鏡の間から舞台へと伸びる橋懸かりを見たときに、それはこの世とあの世とをつなぐ三途の川にかかる橋とみることができます。橋がかりの存在によって、人はこの橋の下に幻の川を見ることができるのです。もちろん、鏡の間と本舞台のどちらがこの世で、どちらがあの世と言い切ることはできません。

生前の本性の戻ったシテが橋懸かりから出現するさまは、あの世からの亡霊の到来と見えます。このときは、鏡の間こそあの世で、舞台はこの世と見ることができます。また、舞台の上で地獄の鉄鳥に脳髄を啄まれるさまをシテが見せるときなどは、同じ舞台の上があの世の地獄と化すのです。

そして、シテとワキとが対峙して対話をしている場面では、舞台はあの世でもこの世でもない境界の世界と見ることができるでしょう。

このように舞台をどのようにでも変えてしまうことができるのも橋懸かりという特殊な演技空間が創造されたからだということができるでしょう。

橋がかりには見た目にはほとんどわからないくらいの勾配がついています。鏡の間から舞台に向けて徐々にあがっているのです。これによって、あの世に住む住人がこの世に出るときの逡巡、またこの世に住む人のあの世に行かねばならぬつらさが自然と表現されます。

・・・と言われているのですが、実は以前はこの勾配は逆についていたらしいのです。すなわち、舞台側が低くて、鏡の間側が高かったと言います。

世阿弥の「申楽談儀」にも「橋は幕屋口を高く据え、低く直ぐに架くべし」とあり、また「能楽全書(能の演出)」の16ページにも詳しく書かれています。