[その他]

山梨県のメンバーへ、「一緒に遊ぼう!!」
 群馬ハートフルフォーラムが終わったかと思ったら、今度は山梨からこんな声が上がってきました。
 以下は、山梨の中込さんからのお便りです。
<フリッパー編集部の皆様へ>

 こんにちは! いつもいろいろな情報やためになるお話、ありがとうございます。
 多分、皆様それぞれ忙しいでしょうに、すごいなぁと思っています(そう言ってもらえると、とっても嬉しいです〜(編))。
 さて、私は今、山梨に住んでいます。アイサーチの活動に参加したくても、やはりなかなか難しいものがあります。せっかくアイサーチに入っているのに、ただ News Letter を読んでいるのもなんかつまらない。うーん、何か良い方法はないかしら? と考えました。そうだ! 山梨にも私以外にもアイサーチの会員の方がきっと居るはずだ! その方達とコンタクトを取り合って何かできないものかな、できたらきっと面白いんじゃないかな、と思いました。
 例えば、映画「ガイア シンフォニー」の自主上映とか、シタールのコンサートとかもちろん皆で海へ、山へ、川へ、行くのもいいし、イルカの話だけでなくいろいろな話をするのもいいと思うし、とにかく何でもあり、うまくできるとかできないとかも関係なし、何か始めてみたいと思う方は是非私にお電話かお手紙下さい。1人でいろいろ考えてやりたいと思うことがあってもなかなか実行に移すのが大変なことがありますよね。でも何人か集まったら何かできるかもしれない。何もせずにあきらめるなんてつまらない。行動だけが全てを変えると私は信じているんですけど・‥ できても、できなくてもいいじゃん。それにいろいろな人に出会うっていうのは人生の醍醐味の一つだと思うんですけど・‥。
 とまぁいろいろ書きましたが、あまり堅苦しく考えずに連絡してください。
 とにかく山梨にお住まいのアイサーチの会員の方、一緒に遊びましょう(〒400 山梨県甲府市上石田 2-34-1 中込 美佐子 (B-0573)/TEL:0552-22-8764)

◆私は群馬フォーラムに参加してきたばっかり。群馬のメンバーのパワーをすごく感じてきただけに、地方のメンバーのこういった声は、すごく頼もしく、感じます。 編集部/水上さよ子)


ローカルなことこそ大事なこと

 前号(NO.42)でお便りをご紹介した伊藤さんからの2度目のお便りです。伊藤さんは4月26日に行われた「うずまきミーティング」に参加されました。その後、署名集め等の活動をされ(本文参照)、5月末にはお姉さんの和子さんや友人の方々とミニコミ誌を発刊されるそうです。興味のある方は直接お問い合わせ下さい。

 アイサーチジャパンのみなさま。
 おしさしぶりです。やっとあたたかさも定着してきたようですがいかがおすごしですか?
私のほうはお天気に合わせてのんびりしたいなーと感じながらもなんだかんだと忙しくバタバタとしてしまい、アイサーチの方々にはきちんとしたかたちでお手紙を書きたいという気持ちばかりが先走ってしまいついつい筆をとるのが遅れてしまいました。本当に申しわけありません。
 先日のうずまきミーティングのときに「仏映画祭横浜」についてみなさまとお話ができたことは本当によかったと思っています。その後も私たちは活動を続けたのですが結局この映画祭は開催されるということになりました。ただし、横浜市の援助金削減、主催者側のレセプションパーティ取りやめ、一般市民を招いてのシンポジウム開催という条件付きということです。これらのことが決定したのは4月の初旬頃だったのですが、この後横浜市側とフランス主催者側でミーティングが行われたそうでそのときのフランス側の意見に「日本から支援を受けているわけではないので核実験に関して我々が言及することは避ける」というものがあったそうです。このことは新聞から得た情報で、今イチ詳しいことがわからず、”言及を避ける”のはそのミーティングの場においてなのかフランス映画祭の開催期間中においてなのかということも、その記事からはちょっとよくわかりませんでした。
 ”映画祭中止!”というダイレクトな結果にはならなかったけれど、別に私は”残念”とかそういうふうには感じてなくてただこの活動を本当にやって良かったとは感じています。あのミーティングの後、私と私の知人数名と一緒に街頭で署名集め&ビラ配りをしましたが、私が直接声をあげてこのような行動をとったのは始めてで、その前日位からなんとなく緊張がすぎて気が重いような変な気分になっていました。ビラも署名もとにかく無視して足早に歩いていってしまう人が多いなか、たちどまって”これはどういう活動なの?”と尋ねてくれる方や御自身のフランス映画祭に関するお考えを聞かせてくれて、フランスの文化と政治、また核問題や被爆された方々のこと、環境汚染のことなどかなり長い時間寒いなか立ったままで私たちと話し合って一緒に考えて下さった方もいらっしゃいました。最初に署名を頂けたときにには本当に感激してしまって私も私の友人もみんなそうだったみたいですが、涙ぐんでしまいました。署名をして下さった方々のまかでも「がんばってね」とかやさしい言葉をかけて下さる方もたくさんいらして、(核問題やポリネシアの被爆された方々のことなどを考えていると気がめいって暗い気分になってしまうのですが)なんだか明るいやさしい気分になれて「こういう人たちも世の中にはいるんだよなぁ」と感じました。
 私たちのしたことはかなりローカルで小さなことではありましたが、ビラをもらってくれた方やあの場に居合わせた方とか、あと新聞にものったのでその記事をみた方とかが少しでも核問題について考えてくれるきっかけを作れたのならよかったのですが。映画祭開催でまた少し核実験を思いおこしてくれたら映画祭もムダではないと思います。開催条件のひとつにシンポジウムの開催がありますが、やはり映画祭反対の意見を考慮してこのような条件をつけたのなら、その場では核実験に触れてほしいと思います。
 それでは長くなりましたのでそろそろ終わります。お手紙がおそくなってしまったこと、本当にすみませんでした。
 それでは...(B-686/伊藤英子さん)
伊藤和子・英子さんの連絡先/TEL:030-814-3147

◆たとえば、もっと大々的に効率的な方法で画一的に、一挙に、...映画祭開催反対ということが決定されたとして、結果として何が残ったでしょう。
 大事なことは伊藤さんが気づいたことを勇気を出して行動したことではないでしょうか。
その結果は決してなぐさめではなく、最善だったのではないでしょうか。正しいことも、それが誰かのお仕着せでは何の意味ももちません。
 従来、政治は数の力であり、その内容ではなかったような気がします。それは得てして画一的であり、正しい判断でさえもいつか中身ののない空虚なものになってしまっていたりします。
 自分のこと、自分の問題(つまりローカルなこと)でなければ、あるいはそう感じなければ人は関心を持ち続けるのがむづかしいようです。グローバルとか言っても、その中身はローカルなことであり、そのローカルな中身を多くの人が共有することができるものかどうかです。逆にローカルな話のないグローバルな話は単なる絵空事の話でありリアリティを感じることはできません。
 伊藤さん自身が明るい気持ちになれたこと、これがとってもよいことだと思います。人が人を信頼する気持ちを取り戻すこと、よりよいコミュニケーションを取り戻すことができれば核をもつ意味などないのですから。そして知ること、知らせること(つまりお互いに理解し合うこと)=コミュニケーションですから、私たちはどんどん私たちにとってのローカルな話を発信していくべきなのでしょう。(編集部/稲垣誠二)


フランス映画祭 横浜

 アイサーチジャパンのみなさまこんにちわ。実は今日はみなさんにご相談があって筆をとっています。
 私の住む横浜では毎年6月”フランス映画祭横浜”というものが開催されます。しかし、今年は、フランスの核実験の影響でその開催の是非が問われ、朝日新聞の神奈川欄でもそれについての投稿が募集されました。2月22日の募集から28日現在までに53通が寄せられ、そのうちの33通が賛成、17通が反対だということです。私はもちろん反対派として投稿したのですが、賛成の方々は、私が誌上で見る限り、”核実験は反対、でもフランス映画は大好きだから開催したい”というような意見や”大切な文化交流の場だから開催して欲しい”というような意見が多数でした。
 特に過去3回にわたってこの映画祭に行った方も多いと思われる横浜市では映画祭に対する個人的な思い入れなどが影響してしまうことがあって客観的な意見が得にくいと私は感じています。
 私の意見をいわせてもらうと、私はこのフランス映画祭の開催は絶対反対です。捕鯨問題には積極的だったフランスが自国のエゴのためなら何事もなく水中核実験を行なってしまったということに私はひどく傷付きました。唯一の被爆国である日本などは特にこの核実験には敏感に反応し、フランス製品不買運動などを通じて国民一人一人のレベルでフランスに対する怒りをあらわにしてきましたが、それを押し切ってフランスは核実験を強行したのです。地球の源である海を我がもの顔で汚していくフランスに私は傲慢なものを感じます。どうしても許す気になれないいのです。文化交流の場というと言えば確かにそうなのですが、特にこの「核実験」という地球レベルの問題になると、そのとらえかたという点において日本とフランスがどれだけ違うのかということをはっきりさせておかなければ今後、真の交流の場はもてるのでしょうか?そのためにも私たちはまだフランスの核実験に対し「怒り」を見せる必要があるのではないでしょうか。
 アイサーチのみなさんはこのフランス映画祭横浜の開催をどうお思いになりますか? 横浜市の問題としてではなく、広い範囲での意見が今必要なのです。少しでもこのフランス映画祭横浜の開催に関する考えをお持ちになられた方は新聞などの公の場にご意見を訴えていただけませんか?
 どうかよろしくお願いします。(B-0686/伊藤英子)

◆伊藤さんの真摯な発言に敬意を表します。
 振返れば昨年は阪神大震災に始まり、地下鉄サリン事件、そしてフランスによるムルロア環礁での核実験と国内外ともに悲惨なできごとが多い年でした。テレビではその様相がこれでもかこれでもかと伝えられ、我々は心を痛めました。しかし、そういった報道がなされなくなるや否や、もう過ぎたこととして忘れ去られようとすることには私も憤りを覚えます。大事なことはなに一つ解決されていないのに。
 このFLIPPERでも核実験についてのご意見を募集したのですが、その時は一通のお手紙もありませんでした。我々には直接関係ないこと?話題が重たい?反応のなさにちょっとがっかりしていました。
 一体、我々はマスコミに躍らされるだけなのでしょうか。私としてはFLIPPERでももっとそういった話題が議論されてもいいのではと考えています。だから、伊藤さんのお便りにすごく感謝しています。そして話題にあげることで皆さんももっと関心を持ってもらえるのではないかと思っています。
 さて、映画祭のことですが私は中止するべきではないと思います。映画祭は開催し、そのときに核実験の問題があったため開催の是非が問われたこと、そして日本からフランスへの明確なメッセージを発表すること。開催者はそれを遠慮する必要は全くないと思います。もしそれが言えないのなら伊藤さんの言われるとおり「文化交流」という言葉自体がナンセンスです。そういった開催の仕方がフランス映画人を通してフランス国民に日本の考え方を伝えていただけるチャンスになり得るのではないかと思います。
 政治と文化は全くの別物ではありません。文化が政治をつくっていくという考え方もあると思います。そして、フランス人全員が核はOkだといっているわけではありません。
 私たちに馴染みの深いJ.イヴ.クストー氏は核実験が海洋に与える影響を訴えてくれました。こういった人たちを増やしてこそフランスの政治も変わっていくのだと思います。
フランス映画人もそういったことはきっと理解してくれるはずです。
 逆に、単純に開催を中止した場合はどうでしょうか。日本の中では「怒り」が表現できたことにはなるでしょう。しかし、核実験当時のフランス製品不買運動などはその抗議対象が核実験そのものでわかりやすかったのに対し、(これも日頃、フランス製品に縁のあった方はともかくその他の人は一体何をしたんだろう?)今回の映画祭の場合、核実験をされた現地ムルロアでの抗議活動が5月までであるのに対し6月の開催中止は連続性や関連性の説得力が欠けます。怒りの本当の意味がフランスまで伝わるでしょうか。
 加えて、今まさに問題なのは既に海洋にダメージを与えてしまった核実験そのものよりも、シラク仏大統領とフランス政府がそれを強行する理由としてあげた「核の抑止力」という考え方であり、海洋へのダメージであると思います。
 後者は地球の反対側に住むフランス人ならびにヨーロッパの人たちには国家レベルを通してではなかなか伝わりにくいものです。そして前者はフランス人が一般論として信用しかかっており、ドイツなどにも伝わり始めているようです。これはヨーロッパの人たちの文化的退行ともいえるでしょう。また、中国を含む東アジアへの影響も懸念されます。しかし、これらのことは我々日本人が日常で意識せずに与えている地球へのダメージ同様に是非とも伝えるように努力しなければ伝わらないものです。
 単に反対・賛成というだけでなく、議論をもっと深めるべきだと思います。そのことが一人一人の意識を高めることにつながるのではないでしょうか。FLIPPERの読者も参加して頂きたいと思います。
 最後に、伊藤さんのお便りから『日本の「私」からの手紙』−大江健三郎著−(岩波書店刊)を読む機会を得ました。核実験に抗議してエクサン・プロバンスでの芸術祭への参加を取り消した氏の心情やル・モンド誌とのやりとり(核実験当時各新聞紙上に掲載されたもの)などが載せられており、非常に参考になる本ですので読んでみてください。(編集部/稲垣誠二)


私たちの生活の中の紙

 FLIPPER NO.37の「紙」の問題について一言感想を述べさせていただくとバージンパルプが悪いとかリサイクルだから良いという単純なことではなく大事に使うことが一番大切なことだと思います。
 不必要な紙を使わない、もらわない。例えば、今はどこにでも備え付けられているお手洗いの手拭き用の紙。ハンカチをもっていけば済むことです。又、本屋ではブックカバーに紙袋。その他、買物の時の袋等々、「要りません」と初めは言いづらいですし、人によっては嫌な顔をする人がいるし、アッというまにくるまれてしまって間に合わないこともあり、結構むづかしいものです。
 それでも一人が10分の1でも余計なものを消費しないことやゴミを減らしていくことが少しづつ良い方に動いていくような気がします。
(B−0669/ 出雲衛子さん)

 やっぱり、大事に使うことが一番大切ですよね。
 「物体ない」と思うこと。木や水があって「紙」ができると思えば単なる物ではないってこと感じられますよね。
 最近では本屋さんでも「ブックカバーはお使いになりますか」とか聞いてくれるようになりました。出雲さんの言われるとおり、お手洗いの手拭きの紙も使わなければ減りません。必要なサービスとそうでないものを分けるだけでも大分違うわけです。
 今まで「当たり前」だったことを一人一人が見直しをかけると、それが今度は「当たり前」になっていくのではないでしょうか。「紙」を使うときに自然に生かされていることを感じましょう。
(編集部/稲垣誠二)

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