第4回国際イルカ・クジラ会議江ノ島フォーラム
プレゼンテーション


ENOSIMA

「南東アラスカとザトウクジラ」

星野道夫(Michio Hoshino)

写真家

1952年、千葉県市川市生まれ。1971年、初めてアラスカに渡り、イヌイットの家族と過ごす。1976年慶応義塾大学経済学部卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に留学。以降、アラスカ の人々、自然、野生動物を撮り続け、 「ナショナル・ジオ・グラフィックス」、 「オーデュポン」 など著名雑誌に写真が掲載され、世界的な写真家として評価されている。第3回アニマ賞(1986年)、第15回木村伊兵衛賞(1990年)をそれぞれ受賞。写真集として 「GRIZZLY」 、「MOOSE」 (ともに平凡社)、 「ALASKA風のような物語」 (小学館)、エッセイとして 「イニュニック」 (新潮社)などがある。


「南東アラスカとザトウクジラ」

 アラスカに魅せられて、15年にわたりアラスカを撮り続ける写真家・星野道夫は、1年の大半を現地で過ごしているが、今回は会議のために5日前に帰国したところだと言う。
 彼は5年ほど前から、撮影の対象を北極圏から南東アラスカに移したが、初めは、手付かずのまま長い歳月をかけていまに至った原生林の美しさを撮りたいと考えていたようだ。しかしある日ゴムボ ートで海に出たとき、20頭ほどのザトウクジラがゆったりとした呼吸で泳ぐのを見ているうちに、ある思いがわき上がってきたという。
 ここも数百年前には一面氷河に覆われていた世界だったわけで、いま目の前を悠々と泳ぐクジラも雄大な原生林も、 「水の惑星」 としての悠久の時間の流れのなかの、ほんの一時期の姿でしかない。そう気づいて以来、南東アラスカの自然を舞台にして、長い長い「時間」 というものをテーマに撮っていきたいと考えるようになったという。
 生物はみな気の遠くなるような時間を経ていまここに存在する。それを思えば人間の歴史は決して長いとはいえない。にもかかわらずその進化のなかで人間が失ってきたものは余りにも多いと彼は静 かに語る。
 星野氏がイヌイット(エスキモー)の先住民の自然観・世界観に興味をもち、彼らの精神世界を非常に尊重していることは、彼がイヌイットのクジラ漁に同行したときの話によく表れていた。
 彼がイヌイットのクジラ漁に初めて参加したのは1983年。伝統的なクジラ漁が残っている北極圏のポイントフォークという小さな村でのこと。彼らにとってクジラ漁は非常に神聖なもなので、外 部のものはなかなか入ることができずアラスカでの撮影を始めて4年目にしてようやく実現したという。
 4月から5月にかけて、ベーリング海、北極海の氷が緩み始め、リードと呼ばれる氷のきれつがあちこちにできる。そのリードに沿ってやってくるクジラを、アザラシの皮で造ったウミヤックという昔ながらの小さな船で追い込むというのがイヌイットのクジラ漁だ。それはリードが小さすぎても大きすぎても成り立たず、漁に適した状態になるのをひたすら待つものだった。
 しかしその年はなかなかいい状態にならなかった。5月に入ると氷が完全に解けてしまい、ウミヤックではもう追いきれない。イヌイットたちの間に不安が広がる。
 しかしようやく待ちに待った 「クジラが来た」 という伝令にキャンプは大騒ぎ。肉は等しく村人に分けられるが、おいしい部位は先に着いたものが優先されるからだ。
 陸に上げられたクジラの解体作業の前には長老の指揮で一同が深い祈りを捧げる。そして昔からのしきたりに従って解体は進められる。そして最後に残したクジラの大きなアゴ骨を皆で海に落とし 「 来年も戻ってこいよ」 と叫んだ。
 彼はイヌイットの精神世界を支える3つの考え方を次のように説明する。
 『ノイア』--山・川など無生物を含むすべてのものが人間のように生きている。
 『霊魂』--熊を撃ったとき熊の頭骨を山に残しておくと、また熊となって戻ってくる。
 『シラ』--災害など人間の手に負えない超自然の世界を支配する神がいる。
 クジラ漁はまだこうした精神世界が息づいていた。老人の知恵が生かされ、若者たちの目が輝いている、なんとすばらしではないか。
 彼は近代化のなかでイヌイットたちの精神世界が崩れつつあるのを惜しみ、さらに話の終わりを次のように締めくくった。
 人間が自然科学の発達によってかえって精神的豊かさをなくしてい今こそ、一見非科学的ではあるが自己の存在というものを語ってくれる神話が必要なのではないだろうか。


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