第4回国際イルカ・クジラ会議江ノ島フォーラム
プレゼンテーション


ENOSIMA

「ホモ・デルフィナス」

ジャック・マイヨール(Jacques Mayol)

(作家、ダイバー)

1927年中国上海生まれのフランス人。現在は英国領タークス&ケイコス諸島に在住。10歳の夏休み、両親と訪れた佐賀県唐津の海でイルカと出会う。1976年、イタリアのエルバ島で閉塞潜水100mの世界記録を達成。人間が呼吸を止める能力 「アブニック能力」 の発見に貢献し 「呼吸停止能力は生命の起源である海と子宮の2次元な原点と関係がある」 と考えている。映画 「グラン・ブルー」 のモデルになったことはあまりにも有名。主著 「ホモ・デルフィナス」 はフランス、イタリア、旧ソ連でベストセラー。日本での題は 「イルカと、海へ還る日」(講談社)。


「ホモ・デルフィナス」

「自由になるために。
 すべての野生の動物が自由であるように。
 飛ぶように。
 鷲のように悠々と飛ぶように。
 そして海の中に潜る。この自由。
 静かな世界に、イルカのように潜っていく。
 空気になるために。
 そして母なる、すばらしい海の子宮に戻りゆくために。

 ―これが“ホモ・デルフィナス”イルカ人間のモットーです」

 プレゼンテーションの冒頭、ジャック・マイヨールは詩的な表現の中にも熱い口調で、私たちに語り始めた。
 彼は、映画『グラン・ブルー』のモデルともなった、閉塞潜水の先駆者でもある。
 今回のプレゼンテーションでは、彼が閉塞潜水を始めるきっかけとなったイルカとの出会いからダイバーとしての歩み、さらに潜水技術の歴史や進歩などをドキュメンタリーフィルムを交えながら紹 介。彼の理念である 「ホモ・デルフィナス(イルカ人間)」 のコンセプトについて発表した。
 ジャック・マイヨールは、幼いころ、野生イルカに2度出会っている。最初は出生地である上海で、2度目は日本の唐津で。唐津でのイルカとの出会いは衝撃的であった。マイヨールとイルカ、お互い見つめあっているだけで、なにか通じるものを感じた。その瞬間、イルカといっしょにいる、ということが彼のすべてだった。運命的とも言えるこの体験は、彼に“海に入ってイルカになる”ことを誓わせた。
 それから時は流れ、マイヨールが“ホモ・デルフィナス”を発想したのは50歳代後半のことだった。
 「多くの人はあまりにも“なまけもの”で、物理的・精神的に弱いから、素潜りができないんです。勇気をもって、イルカのように素潜りをしてください。自分の意識を集中し、開発しようと努力してください。私は若くありませんが、いつも真摯な態度で自然と海と宇宙と取り組んできました。私の信条とは“真摯”だということです。」
 私は、世界各地に伝承される素潜りの技法について、また潜水技術の歴史について探求してきた。しかし、彼はあくまでも自由でいたいという。海底へ装置といっしょに潜りたいとは思わない、と。 「私は自由になりたいのです。だからイルカのまねをし、彼らからなにかを学びたいのです。」
 プレゼンテーションの後半、マイヨールは2頭のイルカと試みた水深45mへの共同フリーダイビング(1993年12月、バハマ、フリーポート沖)の体験を披露してくれた。“イルカといっしょにディープダイビングをする”計画についてイルカのトレーナーは「イルカたちはそんなに深くまでいっしょに行かない」と反論した。
 しかしマイヨールは、「イルカたちに、精神的なつながりがあればついて来てくれるはずだ。単にエサを与えている関係でなく、私を愛してくれるなら、そしてお互い共通な関係を築けるなら、きっと来てくれるだろう」と断言。何週間にもわたるコミュニケーションの結果、ついにダイビングに成功した。
 会場では、そのフィルムが上映された。蒼い海へ、吸い込まれるかのように潜降していくマイヨール氏と2頭のイルカ。水深45m、停止した彼に2頭のイルカが寄り添ったかと思うと、背ビレをつか ませグングンと蒼い海を駆け上がっていく。大空に羽ばたく鷲のうに、自由に海を行く2頭と1人。そこにはまぎれもない、ホモ・デルフィナスの姿が映し出されていた。
 「人間はだれでも、訓練を積むことでホモ・デルフィナスになれる」と結んだ。


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