中村高校の生徒会誌「中村」第28号1996年2月発行より,
1995年の学校祭について
体育祭・クラスゼミとこなし、残るは文化祭のみとなった3日目。朝早くから準備の音が鳴り響き、何が何でもお客さんが入るまでには完成させようという気合いがクラスの中には満ちていた。連日の準備や練習で体調を崩してしまっている人、疲労の限界に来て眠りの淵にいる人、差し入れをしてくれたりと、気を遣ってくれる人、みんなにはっぱをかけて準備の追い込みに燃える人。どんな姿でいても、それはクラス発表にすべてを注いだ姿だった。この時のクラスメイト達は、「受験生」からはとてもかけ離れていたが、「高校三年生」ではあったと思う。5月から準備してきたモノを発表する時がきたのだ。看板もつけ、扉も完成し、いよいろ公演!第一回目の十時の公演には何とか間にあった。CAST,大道具、小道具、音響、照明のすべてが光った公演だった。
ひとまずホッとしたところで、友人と他のクラス発表を見て行くことにした。三年生に演劇をやるクラスが多いのに対して、1・2年生はほとんどが展示でした。1・2年生は体育祭の中心になってしまうので、展示ばかりなのはしょうがないのかもしれません。推理物やお化け屋敷、カラオケやゲームなど、様々な発表があってとてもおもしろかったです。細かいところまでしっかりやってあるクラスもあり、芸が細かいなと感心しました。他の学校の学校祭と日程が重なっていないこともあるのでしょうが、9時くらいから既にたくさんのお客さんが来ていて、なかなかの盛況ぶりでした。発表する側も気合いが入っていたような気がします。
一通り見た後、再び自分のクラスの2回目の公演を見る。1時からだったせいか、立ち見が出るくらいのすごい人で、スタッフも入れるとこの狭い教室に60人以上の人がいたんじゃないだろうか。我がクラスは、 CASTの精神的負担を軽くするためにダブルキャスト制を採用していたので、午前・午後と主要キャストを違う人がやっていた。そのため、同じ話の同じ台本なのに、がらりと雰囲気が変わったものになったが、両方ともすばらしい公演だったと思う。
4日目。台風接近という噂を耳にしながら帰った前日でしたが、どうやら大丈夫だったようです。公演の方は、小道具が無くなるというハプニングも何のその、相変わらず立ち見が出るほどの大盛況ぶり。その間に他のクラスの演劇を見て、我がクラスの最終公演を見る。11時半からのこの公演が一番人が多かった。最後はお客さんにも泣いている人がいて、クラスのみんなも泣いていた。私もついもらい泣きをしてしまったけれど、一生懸命やったから自然に涙が出て来るんだ、と心からしみじみ思ってしまった。
ラストが終わると教室復元。毎年のことながら、この変化には驚きます。教室でなかったものが、日常の教室に戻ってしまう。そんな淋しさ。片づけのあとはファイナル・セレモニーです。台風の影響が残ってしまったようでしたが、ボンファイアー・フォークダンス、成績発表・トワリング・火文字「FOREVER 」と、予定どおり行われました。そして、最後の「思い出がいっぱい」とクラスみんなで歌ったのが心に残りました。
クラス全体が、目標に向かって一つになれるこの学校祭は、一人一人にとって必ず意義のあるものになると思う。もちろんそれはクラス発表に限らず、文化部発表やSSなどにも言えることだけれど、得る物があり、大切な思い出となり、後から振り返って「やってよかった」と思える学校祭が、いつまでもみんなの心に残り続けるといい。