9.脳みその発達
そろそろ価値の話に戻ろう。

確か養老孟司の本に書いてあったと思うのだが、
「類人猿の脳みそは、なぜ大きくなったか」
とかいう話を読んだことがある。

ゴリラやチンパンジーは、
脳みそが大きい。
ところがその脳みそを、
彼らが何に使っているか判然としない。
そこである人が、
「ほかの動物の習性と、決定的に違うところは何か」
と、観察を行った。

そうすると、どうも、ゴリラやチンパンジーは、
「社会関係」に、脳みそを使っているらしいと。
ほかの動物と決定的に違うところは、
個体間のコミュニケーションが、
段違いに濃いと。

だからこういう考え方もできる。
彼らは、脳みそが大きいゆえに、
濃い社会関係を築ける。
濃い社会関係の中で生きているからゆえに、
より多くの脳みそを必要とする。
それゆえに脳みそは更に発達し、
それゆえに社会関係はさらに濃くなり、、、、、、

要するに個体間の関係の深さが、
個体間の関係の深さを更に深めたと。
社会性の深さと、大脳の肥大化が、
相互作用の中で、同時進行したと。

そういう話を読んだことがあるから、
私はネットワークコンピューター、通称NCの未来には、
悲観的なのである。
NCには、基本的にハードディスクが無い。
CPUは早いかもしれないが、
ハードディスクなしでは、
それは大きな脳みそとは呼べない。
ホストコンピューター(大きな脳みそ)に統制される、
末梢神経に過ぎない。

脳みそ同士が(スタンドアロンで動くPC)、
社会の中に(ネットワークの中に)置かれるからこそ、
相互作用が期待できるのである。

前にもかいたように、
貨幣も、
言語と並んで、社会関係をになうものの一つである。
貨幣をコミュニケーションツールとして
考えてみると、
資本主義の発達と、社会主義の凋落の、
理由が明らかになる。

資本主義社会では、
生活は貨幣抜きでは成り立たない。
人々は、すべての価値を貨幣に換算しながら、
生活する。
言い換えれば、資本主義の中における個体は、
通常の言語と、
貨幣という言語の
二つの言語を持つ。

通常の言語は、
具象的で
誤解を生みやすく、
しばしば、理解不能である。
それゆえに、
個体間の社会性を高める
コミュニケーションツールとしては、
限界がある。

貨幣という言語におけるコミュニケーションは、
優れて抽象的で、
明瞭である。
それゆえに、
貨幣という言語を使用する社会では、
非常に密接な社会性の形成を、
期待できる。
期待できるどころか、
現にそうなっている。

社会主義体制は、
究極において、
貨幣を否定する。
各個人は、
目先の利益のためでなく、
社会全体のために勤労する、
ということに、一応なっている。

彼らはその建前を振りかざした挙げ句に、
言論の自由まで奪った。
各個体の、
より高度なコミュニケーションの創造を、
奪ってしまった。

これにより各個体の脳みそは、
劣化してしまったわけである。
同じ人間である以上、
ポテンシャル的には、
相違はないのだが、
習慣上、そうなってしまった。
コミュニケーションというものは、
かくも大事なものである。


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