今日の国家財政を普通に考えれば、
もう福祉大国路線は、無理なわけである。
五十六十の人々はいい。
我々の世代は(私は二十代)、
どうせ年金ももらえないのである。
気の遠くなるような国の借金を、
返しつづけなければいけないのである。
我々の一生が借金返済に終わるのは、
まだいい。
下手をすると我々の子供たちの人生まで、
危ないのである。
今威張っている人々は、
私に言わせれば、
単なる我利我利亡者である。
おのれたちがいい思いをするために、
赤字公債をガシャガシャすって、
自分たちは、返済しない。
返済するのは、我々である。
下手をすると、
我々の子どもである。
こんな気持ちになっている我々の世代に、
常識的な意見を吐けという方が無理であろう。
そういうわけで、私は暴論を吐く。
大体いくら医療が発達しても、
人間は必ず死ぬのである。
どうしてそこまでして、生き続けようとするのか。
死にかけているということは、
死んだも同然なのである。
だったらもう、ライン上の患者は、
死なせてしまって構わないではないか。
中途半端に生き延びさせるから、
周りが世話するのに苦労する。
こういう事を言うと非難されるのはわかっているが、
生きていていてもしょうがない人々というのも、
あるのである。
重度の病気ならば、とどめをさして上げるのも、
人の道ではないか。
もちろん子どもは違う。
子どもには、未来がある。
だから少々無理をしてでも、
助けたほうが良い。
しかしながら、老人には、未来はほとんどないのである。
六十歳の老人が寝たきりになった。
どれだけ生きても、まあ三十年である。
そしてその間、ずーっと寝たきりである。
言っては何だが、それはもう、死人なのである。
立花某とかいう偽善者が、
「脳死患者を死んだとみなしてはいけない」
と、戯言を抜かしている。
脳死患者は、植物人間よりも、
脳の活動が、少ないのである。
もしかりに脳死の人間を殺してはいけないとなったら、
植物人間は尚のこと殺せないではないか。
しかし、断固として言おう、植物人間は、殺すべきである。
植物状態を死んだことにして、
臓器移植をすればいい。
「なんて非人道的な」
と顔をしかめたあなた、
大変結構な道徳観でございますねえ。
しかし後二、三十年もすれば、
あなたの考えも変わりますぜ。
あなたの子供たちは、
キチンとお米を食って行けるんですかねえ。
江戸時代のことを思い出してくださいよ。
東北地方は、飢饉続きで、食べるものがなくて、
娘を交換して食っていたんですから。
もしかりに、石油がストップすれば、またあのころに逆戻りですぜ。
今じゃ農業にも石油は欠かせませんから、
人口も増えていることだし、
あのころより悲惨なことになるかもしれませんねえ。
あなたの娘さんやお孫さんが、
だべられちまわなきゃ良いんですけどねえ。
「石油がストップすることなんてない」
へーそうですか。
じゃあお聞きしますが、太平洋戦争はどうして始まったんですかい。
どうして日本は、真珠湾を奇襲しなくちゃいけなかったんですかい。
石油を止められたからじゃあ、ないんですかい。
「アメリカと仲良くしとけば、大丈夫だ」
そんな単純に考えられちゃあ、参っちゃいますよ。
いいですかい。今地球資源のほとんどは、
先進国で使っていますよねえ。
ところが発展途上国だって、
我々みたいに、豊かになりたいんですよ。
そりゃ同じ人間ですもの。
だけどここに問題があるんですよ。
中国とインドの人口をあわせて、
まあ二十億と見ますよねえ。
彼らが我々とおんなじ様に、
石油やら鉄鉱石やらを使い出しますよねえ。
ところが残念なことに、
地球ってやつは、大きくなんないんですよ。
要するに、使える鉄鉱石も石油も、
限りがあるんですよ。
無い袖はあなた、振れないでしょう。
「だから、省資源、省エネルギーの研究をすれば良いんだ」
へっへっへっ、大変結構なことで。
そりゃ今の日本人にはできるでしょうよ。
競争力もあるし、技術もあるし。
だけど、中国とかインドとかに、できますかねえ。
正直彼らのモラルなんて、なきに等しいんですからねえ。
中国東北地方の工場に、一応塵肺除去装置付けたみたいなんですが、
彼らは、電気代が余分にかかるってんで、
スイッチ切っちゃうんですよ。
おかげで日本にもぼちぼち、酸性雨が来だしましてねえ。
そのうちヨーロッパみたいになるんですかねえ。
ヨーロッパは大陸だから、
酸性雨が来ても、木が枯れるだけでしょう。
だけど日本は、山ばっかりの国ですからねえ。
木が枯れちゃうと、保水能力がなくなって、
バングラディッシュみたいな、
洪水王国になっちゃいますよ。
列島がなくなっちゃうかも知れませんねえ。
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