6.聖なる土地
「それにしても土地に対してはあまりにも熱狂しすぎていない?」

それはそのとうりで、少なからず理由がある。
そもそもこの国の成立当初、
二つの罪が存在していた。
天津罪と、国津罪である。
前者は、あぜを壊したりする、農業に対する破壊行為、
後者は殺人などの、今日における一般的な罪である。

今日の考えだと、田んぼに悪さするよりも、
人を殺すことの方がはるかに罪が重い。
にもかかわらず、当時農耕破壊に「天」の名がついたのは、
その時の日本の社会状況に関わりがある。

当時の日本は依然として農耕民と、非農耕民が混在していた。
征服者、為政者となったのは、無論農耕民である。
彼らは非農耕民の破壊活動に手を焼いていた。
それゆえに、破壊活動を取り締まるために
「天津罪」なるものを考え出したのである。

要するにこの国の成立当初から、
土地とは聖なるものであったのである。

平安末期になると、武士が台頭してくる。
そのころ日本は気温が高かったらしい。
徒然草にも「家造りは夏をもって宗とすべし」とあるが
あれは要するに、気温が高かったというだけのことである。
恐らくそのせいで生産性が向上したのだろう。
開墾農主たちが自立して、
自己主張をし出す。

彼らこそいわゆる「鎌倉武士」で
彼らは己の土地を守るため
「一所懸命」に働いた。
彼らの倫理観こそ「武士道」の根元であり、
一言で言えば、それは、土地に対する倫理観である。

今日我々が「好ましい」「立派だ」と感じる倫理観も、
彼らの倫理観からそれほど変化していない。
近代日本を作った明治維新の志士たちは、
みんな武士である。
である以上彼らも鎌倉武士の末裔であり、
鎌倉武士的倫理観を持っていた。
今日の日本人で、彼らのことを悪く言える人は、少数であろう。
彼らと今日の政治家を引き比べては、
ため息をつくのが、もはや我々の習慣となってしまった。

というわけで行きがかり上我々は、
土地執着型の倫理観を持っているのである。
土地執着型倫理観は依然として「正統」であるから、
公然たる主張の展開が可能となる。
そして「正統」な倫理というものは常に行き過ぎるものであり、
結果としてそれは国民の異常なまでの土地に対する執着心を助長するのみであり、
そんなこんなで、あの異常な地価高騰が発生したのである。

そのような倫理観は、
いわゆる市場社会とは相容れないものであるにもかかわらず、
マスコミも、国民も、この平成の世に、
鎌倉武士的な政治家を期待してしまう。
もし仮に鎌倉武士に今日の政権を委ねれば、
こんな国はたちどころに崩壊してしまうであろう。

今日の政治家の多くは、幸運なことに、
あるいは残念なことに、鎌倉武士ではない。
鎌倉武士ではない彼らに、マスコミも、国民も、
「鎌倉武士のように振る舞え」
と文句をつける。

挙げ句の果てに
「地価高騰は政治の責任だ」と
がなりたてる。

確かにプラザ合意では下手を打った。
しかし余剰資本がすべて土地に向かってしまうということの責任は、
何よりも国民にあるのである。
国民の倫理観にあるのである。

つくづく思うに、政治家は偉い。
良くぞこんな環境で、まじめに仕事する気になれるわい。
普通の人間なら、当の昔に気が狂っている。
少々の汚職は、私なら、大目に見てやりたいものである。

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