3.有用と価値
この事は、別に、バイオリンに限らない。
ありとあらゆる、価値のあるものの、その価値について、
そうといえるのである。

例えば金。
あのぴかぴか光る金属の、どこに価値があるのか。
光っていれば、価値があるのか。
重たければ、価値があるのか。
金は別に、光っているから、あるいは重たいから価値があるわけではない。
金は、多くの人々が、価値のあるものとみとめているから、価値が有るのである。
価値の源泉とは、徹頭徹尾、心理的なものなのである。

今多くの人々という言葉を使った。
これには訳がある。

例えば、私が宇宙船に乗ったとする。
宇宙船に、たった一人で乗ったとする。
ところがこの宇宙船が、しかるべき軌道を外れてしまい、
どんどん地球からとうざかり始めた。
起動を元どうりにして、地球に帰還するような燃料は、もはやない。
しかしながら、なかなか設備の整った宇宙船で、
このままでもあと五十年くらいは、生き延びられる。
仕方ないので私は覚悟を決め、
この船の中で、一人で、五十年間生きていくことにした。

そうなったとき、船に積んである、地球の銀行の預金通帳に、
何の価値があるか。
同じ本でも、宇宙船の動かしかたやら何やらの方が、
よっぽど役に立つ。

つまり、たった一人の状況では、役に立つものが、すなわち価値である。
別の言い方をすれば、有用と、価値とが分離していない。
だから、宇宙船内で私は、価値があるとか何とか考えなくてもよいのである。
あるいは、価値という言葉を忘れてしまってもよい。
有用という言葉だけで、何とかなるのである。

これが現実の社会の中では、話がちがってくる。
ダイヤモンドのような、少しは有用でも、
さほど有用とは言えないような物が、価値を帯びてくる。
価値は確かに、人間の心が生み出したものだが、
人間一人の心ではなく、
社会が、
もっと言えば社会の心が、産み出したものである。

社会の心とは我ながらかなり文学的にすぎる表現だが、
私も日本的アニミズム人間である。

最近 Linux を使っているのだが、
しばしば
かわいいやつだと思ってしまう。
だいたい、面白く言うために、ギャグ的なニュアンスを持たすために、
「素晴らしい」と言うことはあっても、
普通我々は、素晴らしい、とか思わないのである。

たいていの場合「可愛い」とか「可哀相」とか、
「それでは気の毒だ」とか、「ええい、怠け者」とかの感情を、
機械に対して、感じている。

「動けー」と叫んだとしても、機械が動いてくれないのは、
理屈では分かっていても、
いざとなれば、「動けー」である。

だからここは、理性とプライドをあっさり捨てて、
社会ゆうもんは、いきもんや、と思い込むことにしよう。

社会はんにも、心っちゅうもんがある。
価値っちゅうもんは、社会はんの心が作り出したもんなんやで。
物それ自体に有るんやないでー、と
なぜ関西弁になるのかはともかく、
思い込むことにしようではないか。
しようではないか。しようではないか。

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