2.ものの値段とは
確かに、ストラディバリウスさんは、良いバイオリン製作者であった。
よいバイオリンを、たくさん作られた。
しかし、中にはあまり良くないものもあったであろうし、
よい楽器だったのに、いたんでしまって、駄目になったのも有る。

それらのうち、良いものに高い値段がつくというのなら、
これは理解できる。
よくない物にまで、ストラディバリというだけで、高い値段がつく。
これはどういうことか。ものの価値とは、いったい何か。

労働価値説というものが有る。
ものの価値は、それに費やした労働に比例するというものである。

それは、おお嘘である。

モーツアルトのような天才が、おしゃべりしながら作った曲が、
往々にして、下手な作曲家がウンウンうなって作った曲より、
価値が高かったりする。

では、ものの価値は何にあるのか。
物の性能にないことは、先に述べたとうり。
ものの価値とは、何にあるのか。

ストラディバリウスの場合を、もう一度考えてみよう。
人々が、ストラディバリウスを、いくら良いバイオリンだと思ったとしても、
価値の高いもの、値段の高いものと考えなかったとしたら、
ストラディバリウスは、値段が高くなったりはしない。

人々が、「この楽器は、大変、価値がある」と考えるからこそ、
楽器に価値が芽生えるのである。

たとえば私が、(ありえないことだが、例えば)ストラディバリウスを持っているとしよう。
この楽器は、現在億単位の価値がある。

ところがある日、私を除く全世界の人々の考えが、
コロリと変わってしまった。

「なんで俺達は、ブランドなんて物を信用してたんだろう。
ものの価値なんて物は、物の性能で決定されるべきだ。
音のよくないバイオリンなんて、価値はゼロだぜ。」

こうなると私の秘蔵のストラディバリウスも、
ただの木の箱になってしまう。
昨日のストラディバリウスと、今日のストラディバリウスで、
何の変化も生じていないにもかかわらず。

要するに、ものの価値とは、
物に有るのではない。
人間が勝手にこしらえるのである。
別の言い方をすれば、価値は、
人間のそとにはない。
人間の、脳の中にあるのである。
猫に小判、豚に真珠とは、
良くぞ言ったものである。


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