モ ン ゴ ル 野 球 は 爽 や か だ っ た 

I.K. 氏

 アジア大会が終わった翌日,広島駅のキヨスクで中国新聞を買った。もちろん, 前の日の広島カープの試合の結果を見るためではない。プロ野球はとっくの昔に終 わっている。この度のアジア大会の記事を見るためである。ヒッポのことが記事に なっているような気がした。まさか,「名ばかりの通訳,日本の恥じ」なんて出て ないよなーと思ったが,心の片隅にその不安が無いわけでは無い。

 中国新聞(10月17日)を開く。
「アジア大会閉幕」
「広島の友情永遠に」
「熱闘,市民が支えた」(以上1面)
「全力伴走,充実の日々,私も灯した心の聖火」
「輝くアアの笑顔」
「アジアが身近に」
「ボランティア3万5000人」
「貴重な体験,友好継続」(以上25面)。
いずれの見出しも,私の気持ちをぴったり語っている。感 動がよみがえる。自分のことが記事になっているような気がする。

 さて,気になるのがボランティア通訳の記事である。そのいくつかを拾ってみよ う。まず,ちょっと厳しい指摘を挙げてみる。

「問題は通訳の確保だった。人材は首都圏に集中。組織委は競技担当で延べ7千人, それ以外にも延べ3万5000人を配置したが,通訳の能力にばらつきがあり配置に不 手際あった(朝日新聞)」
「通訳も問題を残した。競技運営の通訳はボランティアでは荷が重すぎる(朝日新聞)」
「確かに語学力の不足が否めないケースもあったが,外国の報道陣の中では,親切さと丁寧さの点で十分努力してくれた,という評価があった(中国新聞10月17日」。
ちょっと厳しいな。

 でも,一生懸命やったし,少しは役に立てたと思えることが幾つかある。任務を 終えて,バスターミナルから,歩いて交流広場に向かっている時だった。中東の役 員が,声を掛けてきた。
「リーガロイヤルホテルに行きたいのだが,どこからバスに乗ればいいのか」
と言う。
「何時のバスか」
と聞くと,もうその時刻だ。
「ハリーア−ップ,カモン,レッツゴー」。
私は思わずバスターミナルに向けて走り出した。バス停に着くと,バスは出発寸前だった。
「ジャスト,ウエイタア−ミニッツ」。
日本人のバスの運転手に対して英語が出てしまう。役員が後から到着。間に合 った。彼らは,さっさと乗り込む。さすがピンクの上着。彼らは,当然の如く英語 で話しかけてきた。一人前の通訳として扱ってくれるその心がけが嬉しい。私は, 確かに通訳の仕事をした。

 まだある。交流広場の出来事。運営委員の女性から援助の依頼があった。「中国 の選手が運営委員専用の席に座って動かないので来て下さい」。本当に困ったよう に言う。一瞬,「やくざみたいな中国選手でもいるのかな」と思って運営委員に付 いていく。若い中国の選手が3人,椅子に座って舞台を観ている。私は,「ニーハ オ」とまず微笑む。「これは,あなたの席ではない」と言おうとして,「チュウシ ニーダ(これはあなたの)」までは出るが,あとが続かない。「チュウシニーダニ ュウバ(これはあなたの牛)」でもないし,「チュウシニーダシンチアラー(これ は,あなたの家よ)」でもない。うーんと困って,「デプチ,デプチ(ごめん,ご めん)」と言って,「運営委員席」と書いてある看板を示し,「チュウシ,(運営 委員席)。ニーシー.プーノン(不能)」「アニャ,アニャ(韓国語で違う,違う )」等と言っていたら何とか通じて,席を立ってくれた。これくらいのことなら, 運営委員でもできそうなことだが,選手の気持ちを傷つけないように言うとなると ,これは素人では無理なのだ。やはり腐っても通訳だ。さすがピンクのジャケット 。ピンクのジャケットが,その辺をうろうろしているからこそ,彼女達は安心して 仕事ができるというものだ。

 新聞記事の「通訳の能力にばらつきがあり・・・」という点は,確かに認めざる を得ない。「不手際」もあったかもしれないな。しかし,今回,発見したこと。そ れは,通訳と言うものは,我々が日頃,テレビで見ている同時通訳のような通訳ば かりではないということだ。道を聞かれて,手をとって走り出すような通訳がいて もよい。韓国語混じりの中国語を喋る通訳がいてもよい。いわんとすることはちゃ んと伝わるのだ。コミュニュケーションは,そもそも不完全なもの。小さな力も, たくさん集まれば大きな力だ。このへんのことは,実際やってみた者でないと分か らない。

 

 とは言え,元々,自分が楽しめれば良いとしか考えていなかった。いつから語学 能力等と考えるようになったのか。何たる堕落! 自分が楽しむこと。そして,言 葉を発見すること。すると,相手も,私たちの言葉を発見してくれる。その駆け引 きが楽しい。
「選手村で運営に携わった一般,語学ボランティアは,大会全体の1 割にあたる3000人あまり。AD(資格認定)センターやバスターミナルでの案内な ど選手と触れ合う機会も多く,積極的にアジアの交流を深めた人が多かった(中国 新聞,10月17日)」
「台湾の中国時報は,初めての地方都市で開かれた大会として 成功だった。各会場で笑顔で接した若い人からお年寄りまで,ボランティアの活躍 は素晴らしく,大会を支えた(同上)」。
これでいい。これこそ最高。我がヒッポ

ファミリークラブの会員の一人築樋さんなんかノリハゴチンチコでインタビューに 応じている。
「ハングル通訳の大竹市黒川3丁目,会社員築樋さん(39)は『イラ ンの人と話すなどして視野が広がった。生活や習慣の違い,お互いの立場を尊重す ることの大切さを実感した』と貴重な体験を総括する(10月17日,中国新聞)」。

新聞記事になると,えらく真面目な文章になってしまうが,このノリには敬服。

野球競技で,最も目立っていたのは,モンゴルとタイだった。しかも爽やかだった。 通訳の能力という点では,確かに野球競技におけるモンゴルみたいなものだったかも しれない。しかし,どの国にもまして,モンゴルの選手の目は輝き,アジア大会を 楽しんでいた。ジャヨウモンゴル!キュウネイジーモンゴル!ネバーギブアップヒ ッポ!


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