***** 私のアジア大会日記 *****


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そのうち写真を増やします。


● その1

 9/25(Sun.)
 アジア大会まで後一週間ですが、ボランティアはもう始まっております。 私も昨日初めて選手村勤務に行って参りました。
 ヒッポの担当は主に交流広場でのイベント中の通訳補助と展示コーナーでの 国際交流プログラム(観光ツアーやホームステイ)の受付、後は文化教室(お茶 やお花や着付け教室)での通訳補助です。
私の担当は受付で、昨日を含めて毎週日曜日、4回行きます。

 昨日は交流広場で選手村祭があり、いろんな芸能や出し物のステージがあった りしたのですが、まだ入村している選手等が少なくて、ヒッポの出番は余りなか ったようです。外国人はどこにいるか探す方が大変で、たまに発見するとその一 人のまわりにヒッポの人がどわぁーっと集まってしまう状況でした。また、アジ ア大会ゆえにアジア系の人が多くて(当たり前だけれど)日本人との区別が難し くて、日本人に英語で話しかけてしまう等の恥ずかしい失敗があちこちで見受け られました。

 私の詰めていた受付はそれでもまだ割と外人さんたちの往来が多くていろんな 国の言葉を間近で聞くことが出来ました。(その受付の横が公衆電話のコーナー だったこともあるのですが。)でもそのおかげで我々の部屋に入ってきて、申込 かなぁー、と思っていると、英語で、「テレホンカードありますか?」かなんか 聞かれて、「あっちの売店に行ってくださーいっつ!」と何回言ったことか。 要するにほとんど開店休業状態で、ほーんとヒマでした。

 来週の日曜日は開会式なのでもう少し忙しくなるかなぁ、と思っております。


● その2

 10/2(Sun.)
いよいよアジア大会も開幕し、連日各選手の活躍が報じられています。
(広島以外の地域ではどうなんでしょ?)

先の日曜日にまた選手村へいってきましたのでまた少し報告いたします。 テレビ等で盛んに報道されていたように、その日は開会式でした。私が選手村に 着いたときはちょうど開会式が終わったところで、センターの建物内は入場行進 の衣装のままの選手たちでごった返していました。この日のヒッポのメンバーは 展示・受け付けの仕事だけなので開会式はみれないのですが前半担当の人に聞く と入場行進の前に選手がみんな我々のいるオフィスの前を通っていったので、 「裏で」入場行進がみれた、と喜んでおりました。

特に印象的だったのはなんといってもあのモンゴルの旗手でしたねぇ。 上半身裸に赤いマントをひるがえし頭には角のように先のとがった帽子。 しっかりあの格好でロビーをうろうろ(?)しておられました。ふとモンゴ ル相撲を想い出してしまいました。実はモンゴル選手団は予算がなくて選手 団の衣装がそろえられず、たった1人の行進だったそうですが、なかなかど うして、100人分くらいのアピールはありましたよ。拍手拍手 <<(^_^)>>

それにひきかえ日本選手団のあの衣装は何なんでしょ。とくにあの不釣り合 いな帽子。あんまり日本らしくないなぁ、と感じたのは私だけではあります まい。

 受付に着くなり悔しかったことが一つ。例のヨルダンのハヤ・フセイン王女が 午前中に我々のいる展示・受け付けコーナーにこられたそうで、是非ご本人を拝 みたかった私としては非常に残念でした。ただやっぱりVIPだけあってボディー ガードがびったりくっついていたそうですが。
#(「ヒロシマの休日」はやっぱし無理かぁ、、、 (^_^;) )

そのときそこにいた、とあるヒッポのメンバーは彼女がハヤ王女とは知らず ガードのおじさんを選手だと思って「何の競技にでられるのですか?」か何 か聞いて顰蹙を買っていたそうですが。(^_^;)>>

 まあとにかくその後ずーっと千客万来で夜の10時頃まで息つく暇もなくいろ んな国の選手たちが入れ替わり立ち替わり展示室にやってきました。私は主に展 示物の紹介とおみやげ用の小物を配っていました。いろいろあったのですがとて も書ききれないのでいくつかを箇条書きにしてみます。

☆ベトナムの女性がやってきて展示してある折り紙のゾウとキリンの作り方を教 えてほしがった。そんなことを急にいわれてもこちとら鶴を折るのが精いっぱ いなのに、、、。ならば、いついつにある折り紙教室にでてくれ、と英語でい ったがなかなか通じず、今ここで教えてくれとせがまれた。けっきょく彼女は 諦めてかえっていったけど。
うぅーん、やっぱし折り紙ぐらいできねばならぬ。

☆「"アフガニスタンの絨毯(じゅうたん)" は何処に売っているか?」と聞か れた。そんなもん選手村にあるかっつーの!!
(後日談:実は選手の部屋で密かに売られていたらしい・・・(^_^;)>>)

☆展示コーナーには押し花や焼き物なんかが展示してあるのだけれど何人もの人 に「これを買いたいのだけどいくらか?」と聞かれた。これは売り物じゃない と何度もいったがしつこくせがまれた。いっそのこととーんでもない値段を書 いてはっとけばよかった。(といったら、アラブ系の人ならそれでも買いかね ないぞ!と脅かされた。)

☆カザフスタンのギョルとロシア語でお話ができた。あまりにもかわいいので配 っていた貝殻人形を余分にあげてしまった。 (^_^;)>>

☆つねに葉書や手紙にアジア大会スタンプ(なぜか選手村にここしか置いていな い。)を押す人の列ができていた。特に中国の選手はスタンプが好きらしい。 1人で何回も押しに来ていた。

☆カザフの役員の人にロシア語で話しかけたらその100倍ぐらいのロシア語で 返ってきた。あわてて「でもまだあまりうまくないので良くわかりません。 イズヴィニーチェ。」といったら「ニチボ、ニチボ」と笑って許してくれた。 そのかわり、配っていた人形を「娘さんと奥様に。」といって余分にあげた。

 と、、、いろんなことがあってほーんと楽しいです。
日曜日が待ち遠しい。


● その3+最終回

 何年も待ち続けていた広島アジア大会の2週間もあっという間にすぎ、一昨 日はその閉会式でした。テレビ等でごらんになった方も多いかと思います。最後 の花火がとーってもきれいで、交流センターの廊下から選手宿舎のツインタワー (30階建)越しにただただ見とれておりました。私が勤務したのは日曜日4回 だけなのですがそれでもいろんなことがありすぎてとてもその全部をここに書く ことはできません。が、また例によってその中からいくつかをここに書き込んで おこうと思います。(まとまりのない文章ですが大目に見てやってください。)

 10/9(Sun.)
この日は洗濯等が早めに片づいたので自分の担当(15:00-22:00)よりも少し早め にいって遊ぼうと思い、マラソンで日本の早田選手(いつウルトラマンになるの かとつい期待してしまう、、、(^_^;))が銀メダルになったのを確認した後すぐ に出かけました。

このとき優勝した黄(ファン)選手の後ろで韓国の旗を持っていたのが「グル  メ李」(知る人ぞ知る広島の韓国料理店。ヒッポ御用達の店)の店長であった  ことを私は見逃しませんでした。

 この日は3連休の中日ということも相俟って交流広場ではいろんなイベントが 繰り広げられており、ものすごい人(ほとんど日本人)でごった返しておりまし た。

「おしん」の小林綾子が来ていたそうで選手たちに大好評だったそうです。後 で聞いたのですが「おしん」はアジア各国で放映されていたそうです。我々が 子供の頃にアメリカのホームドラマに憧れたのとはいささか違っていますが。 どうでもいいけどその翌日は「上々颱風」もきたんだよ。

 この交流広場には、一般の人と選手の橋渡し、ということでヒッポのメンバー が常時20名ほど配置されていたのですが、昼間は試合会場に行っている選手が多 いことや、言葉が通じなくても一般の人たちが充分楽しく交流していることもあ ってヒッポの出番があまりなく、みんな暇そうにしておりました。(夜になって 選手が帰ってくるとまた忙しかったようですが。)
 私の詰めていた交流センターの交流室はあいかわらず常時てんやわんやしてお りました。そんな中からいくつかの出来事を紹介しておきます。

〜散髪1〜 
 12,3歳のカザフスタンの少年が1人でふらっと部屋に入ってきてなんかロシア 語でまくしたてるのだけれど誰もわからない。すると彼は指ではさみをつくって 髪をチョキチョキやるしぐさをした。ああ、そうか髪を切りたいのか、ってんで 理容店の予約を入れるのを手伝ってあげました。選手村内には銀行、郵便局、ゲ ームセンター、売店、ディスコなどありとあらゆる施設が入っているのですがも ちろん理容・美容店もボランティアで入っています。これが結構な人気で予約を 入れても翌々日ぐらいになるほどでした。これがおもしろかったのですが申込用 紙に名前、AD番号などを書き込むほかに髪型の注文も書き込むようになっていま す。どうやって書き込むかといいますと髪型の写真がファイルしてある中から選 ぶのですがこれがすごい、前から、横から、後ろからの髪型をそれぞれ30種類 くらいの中から選ぶのです。なんとめんどくさい、と私のような不精ものは思う のですが言葉が通じなくても済むようにしようと思えばあんな風になっちゃうの ですね。その少年もいっちょまえにあれこれ迷って選んでおりました。そのほか にもシャンプーはするか、とか髭を剃るか、とかいろんな項目があって大変でし たが、理容店の人はほとんど英語もできない恐れがあるので申し込みの段階で通 訳しながら細かく決めておかないといけないのだそうです。それでも彼は申し込 みの控えを持って満足そうにかえってゆきました。

〜散髪2〜
 暫く後にまた別の青年が入ってきて英語で何かいうのだけれど文章になってな くて全然わからない。どう見てもロシア系だったので、「パルースキー、モージ ナ。ガバリーチェ。」というとえらくびっくりしながらもうれしそうにロシア語 で言い直してくれました。かれはトルクメニスタンの選手でした。どうやら彼も 髪を切りたいらしいのです。先ほどの少年で要領がわかったので今度は自信を持 って予約につれていってあげました。予約カウンターで待っている間にたくさん 彼とロシア語で話をすることができました。  他のロシア系の人もそうだけれど、「僕はロシアの名前も持っている。アリョ ーシャっていうんだ。」と自己紹介すると、みんなそれからはアリョーシャと呼 んでくれるのがとーっても嬉しかった。それと、あんまし難しいことをいわれて も困るので最初に「ヤーガバリュー、ニムノーガパルースキー。ノー、イッショ ウプローハ。」と言っておくのだけれどみんな「そんなことないよ、オッチンハ ラショウダ!!」とほめてくれるのでものすごく嬉しかったです。  彼が希望した髪型は横と後ろをめいっぱい短くして上の髪を立たせるというい わゆるパンクスタイルでした。私が「それだと桂文珍みたいだけどいいの?」 といっても、「モージナ」と結構頑固でした。もっとも桂文珍といってもわかっ てないんだろうけど、、、。「シヴォードニャ、ニマグーチ。ザーフトラ、トー ジェ、ニリジャー。ポスリーザーフトラ、モージナ。」と予約をいれて、「何時 がいいの?、とりあえず13時が空いてるみたいだけど。」というときに私は 「ドリィナッツアッチチャース(13時)、モージナ?」といってもうまく通じ なかったので時計の絵を描いて「アジーンチャース」と言い直すとかれは、「オ ー、チャース!モージナ」と答えました。この時ナホトカで聞いた時刻の言い方 、1時の場合は「アジーン」はいらないといわれたことをふと思い出しました。 (我々が「1千円」といわずに「千円」というのと同じですね。)別れ際に自分 の名刺をあげたらトルクメニスタンと書いたワッペンをくれました。彼は私の名 刺の電話番号をみて、「電話してもいいか?」と聞いてきたので、「カニェーシ ナ、モージナ!」といっておいたのですが、やっぱりかかってきませんでしたね ぇ。(期待はしてなかったけど、いちおう念のため留守電はロシア語でいれてお いたんだけれど、、、。)

〜超!折り紙〜
 今回の大会には一般の人から選手におみやげ用にと手作り小物の差し入れがた くさんあったのだけれどその中でもとりわけすごかったのが、定年後に趣味でや ってる、というおじいさんが作った折り鶴でした。これはなにがすごいかって言 うと、1枚の紙で10数羽のつながった折り鶴を作るのです。図面を引いて、何 時間もかけて作るのだそうです。ちょっと引っ張ったらちぎれてしまいそうなの で展示するにも気を使いました。もちろん我々日本人がびっくりした以上に選手 たちもめずらしがって大人気でした。シンガポールの選手に「これはどうやって 作るのか?」と聞かれたとき、説明するのがめんどくさいので、 「It's a Japan ese secret!」と答えるとえらく受けていましたっけ。

 10/16(Sun.) 閉会式の日
 この日は最終日だし、選手もどんどん帰国を始めているし、夕方から閉会式だ し、結構暇かもしれないなぁ、、、なぁんて考えながら選手村へ行ってみると、 とぉーんでもない!交流室の後かたづけが待っていました。後かたづけというか 展示してあったものや余ったものを選手にどんどん配れ!と言うことで、残って いたものを適当に袋に詰めて手当たり次第配ってまわっていました。選手がほし がったのは大会のポスター。特に人気の高かったのはポッポとクック(大会のマ スコットキャラクター)の描いてあるポスターでした。おみやげにちょうどいい みたい。人気のあるポスターは1人1枚づつくばっていたのだけれど1人で何枚 もほしがる人や何回も来る人がいて受け付けはごった返していました。それでも 余った人気のないぶんはまるめて中が見えないようにして前を通る選手たちに無 理矢理持たせてあげました。紙袋なんかも配っていたのだけれど、やっぱりポッ ポとクックの描いてあるのは飛ぶようになくなりましたねぇ。

 通路では選手たちの小物交換会があちこちで見られました。会期の中頃までは バッヂがメインだったのだけれど、もう最後と言うことで交換用に持ってきた小 物、大放出、といった感じでした。選手の中にはそう言ったものを大量に我々の いる受け付けに持ち込んで「プレゼントだよ!」と言っておいていってくれる太 っ腹な人たちがいて嬉しかったです。

〜買い物1〜
 ボランティアのひとりがモンゴルの選手がかぶっている帽子(てっぺんのとが っている アレ!)をみて、「アレがほしいなぁ、なんかと交換してくれないか。」とのた まうので我々はモンゴルの選手を捕まえてきました。当然私はモンゴル語はわか らないのでためしにロシア語で話しかけてみるとちゃんと通じたのでロシア語で 交渉しました。最初、「その帽子を何かと交換してくれないか。」というと困っ たような顔をしていましたが、「シトーヴィハチーチェ?(なにがほしい?)」 と聞くと彼はポケットから10円玉を取り出してみせて「お金」と答えました。 「スコリカストイト?(いくら?)」というと「5000円」とかえってきたので 「ドーラガ、ドーラガ!!(高い、高い)」とねぎって結局彼は4000円 でモンゴル帽を手に入れました。ちょうどそこにいたプレスのお姉ちゃんにしっ かり取材されたのには参りましたけど。ついでに彼女に頼まれて取材の通訳もし ました。聞いてみると彼は24歳のレスリングの選手で4位だったそうです。 そのお金はどうするのか?という質問には「おみやげを買うのだ。」ということ でした。さらになにを買うのか、と聞くと「服とか置物とか....。(もっといろ いろ言ってくれたのだけど知らない単語が多かった。)」ということでした。確 かに物価が違いすぎるのでこうでもしないとおみやげは買えないのだろうなぁ。 なんせ、1カ月の収入が1000円とか2000円とかいう国ばっかりなんだか ら。(そういえばメダルを売ってしまった選手の記事が新聞にでていたなぁ。) 後で良く見るとそのようなモンゴル帽子をかぶった選手があちこちでうろうろし ていました。「それ、かっこいいね。」と声をかけると、「ほしい?」と聞かれ るのでみんな売る気でかぶっていたんだなぁ。「靴もあるんだけど、、、。」と いわれましたが丁寧に断りました。

 でも何はともあれ、自分のロシア語でちゃんと買い物(の交渉)ができたのは なにより嬉しかった。

〜買い物2〜
 役員控え室のテレビで閉会式の模様を見ながら夕食の弁当を食べて、受け付け に戻ってしばらくするとカザフの選手がなにやら売りに来ました。その選手が、 私がロシア語ができるのを知って「買ってくれないか」と小さな人形をたくさん だして交渉してきました。安ければ買ってもいいか、と思いながら「いくら?」 と聞くと「3000円」という。その小さな人形1個で3000円はボッタクリ だぁ、と思って「800円なら買う。」というと「それじゃぁだめだ。」といわ れたので「じゃぁ悪いけどいらない。」と断りました。ところがそこへその人形 をバラバラ広げてヒッポの人に見せているときにはじめて気がつきました。それ は人形ではなくてチェス(のようなもの)の駒だったのです。盤の大きさは50cm 角ぐらいで2つにたためて中に駒を収納できるようになっていた。あわてて、 「エェーッ!?それ一組で3000円なの?」ときくと「そうだ」というので、 それなら買う!と改めて交渉しました。彼が3000円だというのを、いまお金 がないから、といいはって結局2500円にねぎって買ってしまいました。(ヒ ッポの人にはたたきすぎだ!とちょっと顰蹙でしたけど。)そのかわりサインペ ンと色紙をあげときました。でも例えばそれが町中で10000円で売ってたら そんなもんかな、と思うんでしょうね。(だってナホトカで1700円だったマ トリヨーシカが、全く同じものが新潟空港で17000円だったもの。)
 ただ、買ったのはいいけどチェスと少し違うようなのでルールがわからないの が難点です。(実はチェスのルールさえ知らない。)
 彼らは「あと4つあるから売らなくちゃ!」と重い鞄をゆすりながらいって去 ってゆきました。外貨稼ぎも楽じゃないなぁ。
 これら2つの買い物でロシア語での交渉に自信を持ってしまいました。

 外の通路では閉会式からかえってきた選手たちによって交換会がますます白熱 していました。物も小物から、ジャケットや帽子といった物に移っていました。 その後、私はだるま人形とカザフスタンの国旗の絵のついたキャップを交換して もらいました。あとはポケットに入っていたものをわけもなくあげたり、良くわ からないけどわけもなくもらったりで結構いろんな物を手に入れました。といっ てもべつに「もの」が欲しかったというよりもそうやっていろんな人とコミュニ ケートするのが楽しかったんですよね。ボランティアの職務からは逸脱していま すけどいい経験をしました。


・・・といったふうにばたばたと私にとってのアジア大会は終わってゆきました。 ボランティアとして役に立ったのか立たなかったのか、良くわかりませんが、と にかく期待していた以上にたのしい仕事でした。

 この大会は私になにを残してくれたのでしょうか?

言葉がうまく通じなくてがっかりしたことや、反対に充分コミュニケートできて とっても嬉しかったこと。アジアの各国のお国事情をかいまみて考えさされたこ と。上記の乱文からもわかるように、まだ、いろんなことが絡まりあったままで す。
 まあ、この余韻を楽しみながらゆっくりほどいてゆくことにしましょうか。

 そいでもって来年は福岡のユニバーシアード、、、かな?

#ご精読ありがとうございました。


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