山部善次郎、通称ヤマゼン。…彼の鼻はない。
冷たいシリコンで型どられたクローンの鼻と、事故で潰れた左目を隠すための海賊風アイパッチ。
彼を初めて見た人は、立ち止まり、仰天し、そして遠ざかる。
当の本人はというと、そんな周囲の反応を楽しむかのように、お構いなしに強烈なインパクトを武器に、
自由方便にROCKに絡まりながら突っ走っている。
ロッカーの良い部分と悪い部分を得意げに身に纏った彼を『博多ロックシーンの必要悪』と、誰かが言う。
博多のROCKが語られるとき、ヤマゼンは必ず中心にいる。皆の興味がいつのまにかヤマゼンに集まり、彼の話で盛り上がる。
しかし、それは彼の風貌によるものではない。
シリコンの鼻のことなど簡単に忘れさせてくれるもの、
それは…
彼の口から飛び出す言葉、彼の身体から表現されるアクション、彼の心が命令する行動、そして彼の人生が創り上げた歌声。
どれを取っても最高であり、……最低なのだ。
彼の存在は周囲を圧倒する。彼から発散されるものはオーラではなく魂そのもの。
“ヤマゼン”というエキスを、いつでもどこでもギラギラと振りまきながら、皆の心を引き付け、遠ざける。
そんな彼の過ごす1年はいたってシンプル。
春に爆発し、夏に冬眠し、そして秋に復活する。
絶頂期には、最高のライブをタンマリ与えてくれる。周りの人たちは満足げに「サイコーやね」と言う。
しかし、もうすぐ爆発して暫くライブにお目にかけられなことを皆知っている。
オフのときは友人たちと積極的に遊びまわる。徹夜、ナンパ、外泊、パーティ……。
週末の夜を楽しむ学生のように、連日博多の夜に出没し、笑いと活気を落として行く。
しかし、なぜか春が過ぎる頃、変化が現れる。髪が黒から金髪に染められ、オレンジ、グリーンが加わってくる。
周囲の人たちにとって、彼の髪の色は、彼の状況を把握するためのバロメーター。
カラフルになった髪を見せつけながら生ギターを抱えたヤマゼンの突然ライブが各所で開かれる。地下街、百貨店、公園、図書館、そして路上…。
彼はお構いなしに現れて大声で歌い出す。その場に居合わせた人たちは驚き静止しようとするが、この時期のヤマゼンを止められる人はいない。
結局警察に頼んで強制的に追っ払うか、見て見ぬフリをするか。
この光景に慣れた博多の人たちは、彼が自ら去って行くのを待つ。まるで、そこに居ないかのように振る舞う人たち。
案の定、暫くするとよそよそしいライブも終わりがくる。そして、ヤマゼンは迷惑顔の観客たちに丁寧に次回の予告を行ない、どこかへ去って行く。
この時期の状態を『テンパットル』という。
そして事態は最悪のコースへなだれ込む。「ヤマゼンが○○で喧嘩した」「ヤマゼンが○○で暴れた」「ヤマゼンが…」「ヤマゼンが…」
これを『キトル』という。
こうなると大抵の友人たちはヤマゼンから一時期離れて、次の復活のときを待つことになる。『キトル』状態の勇ましい武勇伝があちこちで囁かれる。
そしてヤマゼンの勢いに後押しされるように博多の名物行事“山笠”が始まるのだ。
しかし『キトル』期間は短く、次々に届いていたヤマゼンの話題がパッタリと途絶える。
反応することを全て拒絶した、まるで死人のようなヤマゼンは、住み慣れた千代町の実家のベットの上。
こうなると誰であろうと彼を外に連れ出すことはできない。
いつまで続くか、わからない。
山笠も終わり、博多の街は静かな日々が続く。
山善の噂話も各人の心の奥へと押し込まれていく。
そして、ある日突然、前触れなしにHappyなヤマゼンが姿を現す。「ナンシヨートネー」と元気に叫びながら、テンパッタときに
罵声を浴びせた友人たちと再開する。
こんな単純かつ明確な1年が長い間繰り返されている。時にはテンパッタ状態が長引いたり、キトル状態が暫く来なかったりするものの、
必ず繰り返される年中行事。「この行事に終わりは無いのか」
周囲の人たちは、そんな疑問を持つ暇もなく、いつしかヤマゼンの行事に付き合っていた。
直接ダメージを受ける友人たちはキトル状態に辟易しながらも、時間が過ぎると彼を許し、その行動は逸話となり、笑いながら語り継がれて行く。
どんなに、悪魔に変身しようとも、次に復活したヤマゼンに会いたいから。
…普段の彼は、誰よりもやさしい。ジョーク、勢い、明るさの中に見え隠れするそのやさしさは、皆の心をなごませる。
しかし、悪魔に変身したときのヤマゼンは最悪だ。無邪気な悪魔ほど手のつけられないものはない。ブレーキのきかないヤンチャぶりを相手かまわず遠慮なく発揮する。
その豹変ぶりのあまりの凄さに、私たちはある事実を見過ごしがちだ。
そう彼の鼻は無く、左目は潰れている。
彼の過去にとてつもない何かが起こったことは、彼の顔を見れば一目瞭然。
想像できるだろうか? 自分の鼻がとばされ、片目が潰れてしまった人生を…。
一生付き合うその顔が、ある日、人とは違うものになってしまう人生を…。
山部善次郎の顔を一瞬にして変えてしまった、あまりにも残酷な出来事。
考えてみれば、彼の顔同様、彼自身の才能が有名になった今でも、その事件を知る人は少ない。まして、その後の日々を想像することもない。
運命のその日、神様はヤマゼンに何を与え、何を奪ったのか。彼にいたずらな悪魔が宿ったのは、いつからなのか。
そして、どこまでもやさしい彼の笑顔をつくってきたのは何なのか。
他人の人生を覗くことほど悪趣味はない。
しかし博多のROCKシーンを振り替えるにあたって、山部善次郎の過去を振り返ることは必然ではないだろうか。
彼の音楽を100%感じるためにも避けては通れない。
このことをヤマゼンに話すと「よかじぇ〜」と気軽に受けてくれた。
それから時間が過ぎ、ちょうどテンパットル時期にヤマゼンの部屋を友人たちと訪れた。
和気あいあいと取材が進行しようとした矢先、そう、取材の初っ端からヤマゼンの超過激罵倒&罵声という洗礼を初めてダイレクトに受けることになった。
私の些細な一言に過剰反応したヤマゼンは、まわりの友人たちに押さえつけながら私を罵倒した。
しかし、彼はどこか冷静で、この異常な状況の中、取材を続けようと叫んでいた。
「だいじょうぶ、心配なか〜」
しかし、その場から立ち去ることしかできなかった。涙でボロボロの私は帰りのタクシーの中で数分前に起こった出来事を頭の中で繰り返し再生した。
ヤマゼンの声、ヤマゼンの叫び、そして家を出る私を静かに送り出してくれたヤマゼンのお母さん。
幾度も繰り返し再現される数分前の光景。ただ、何がきっかけだったのか思い出せない。
しかし、彼があのように暴れだしたのは彼だけが悪いわけではない。私の言葉、行動の何かがヤマゼンの心のひだにひっかってしまったのだ。
そのきっかけがなっかたら、取材はそのまま続行していただろう。
そのきっかけを伝える手段が、ある時期のヤマゼンは暴力的であったりするわけだ。
そう、ヤマゼンの数ある逸話は、ヤマゼンだけの原因でつくられたものではないのだ。彼が勝手に暴れまわってるわけではないのだ。
そのことを考えずに、「あの時期さえなければ」と言えないのではないだろうか。
『キトル』状態のヤマゼンからただ離れているだけでは、彼のことを本当に理解できないのではないか。
その日を境に、ますます山部善次郎という人物に興味をもった私は、彼へのインタビューだけであき足らず、もっと彼のことを知りたいと考え出した。
心の奥からわいてきた。そんなわけで挑戦することになった『山部善次郎物語』。絶対完結させる!
…あの日から数ケ月後、ヒーコンというレコーディングスタジオでヤマゼンに再開した。
「なんしよったとね〜」と大きな声で迎えてくれた彼は、少し照れながら笑ってた。
BERO