BEATMAKS (vol.3/NOV. 15. 1984) p20-p21
山善の逆襲
長い眠りから目醒め、今よみがえった天性のロックン・ローラー、山部善次郎!!
 気温は連日30°Cを越え、少年少女達の夏休みは半ばに入り、まさに夏本番!!
という8月5日、福岡スポーツセンターでは、地元の人気15バンドが一同に介して、「ジャンピング・ジャム」が盛大に行われていた。
 昼の12時過ぎに一発目の音が会場に響いてから、4〜5時間もたった頃だろうか。フルノイズの出演時間が来ていたが、サミー津田(b.)がまだ会場に到着していない! というので、ステージ上ではマサル(vo.9)とルーク寺島(g.)がとりあえず時間を埋めるため何曲かのブルースを、待ちかねた客に披露。 まだメンバーは揃わない。再び会場がざわめき始めた、その時だった。
 イキナリ一人の男がステージ右方から現れたかと思うと、マサルと一言二言交した後、彼が下げていた生ギターを奪い取って、マイクの前に立ったのである。
 夏の真っ盛りにもかかわらず黒の革ジャン、すり切れ寸前のブルー・ジーンズに黒のブーツ。 ブロンドに染められた三分刈りの頭とミラーのサングラスだけが、窓に取り付けられた暗幕から洩れる光を受け異様な輝きを見せている。
「証明の係りの人、スポットばお願いします。」突然の事でだろうか、なかなかスポット・ライトがつかない。「おーいスポット!」 まだつかない。 「照明係! スポットば当てちゃれて言いよろうが!! それでもプロや!! バンド側はみんな命ばはって演らんか!!」……一瞬静まりかえる会場。なおも男は絶叫する。 「そっちもプロとなら命ばはって演らんか!!」 「いいぞ!!」と声が上がる。やっとスポットがこの男を照らすと「それでいいったい。」とミディアム・テンポのロックン・ロールを歌い(叫び)始めた。 「いいぞ」 「やれ! やれ!」 このハプニングで騒然としていた観客は何が何だかわからないまま、やがてこの男の歌に合わせて手拍子を鳴らし出した。
 ある者は「博多の狂気」と、またある者は「博多最後のロックン・ローラー」と呼ぶこの男こそ、山善こと山部善次郎なのである。

 各バンドの時間配分のことなどあり、山善は"Get Back"他2曲くらい演って一応退場したが、トリのアクシデンツの演奏中またまたイキナリ現れ、客席に水はぶちまけるは、ボーカルのスマイリー原島にも頭から水をブッかけるは、 ステージは走りまわるは、もう大騒ぎ!! そしてアクシデンツのステージが終ってからもその場にとどまり、マイク片手に楽屋にいる各バンドのメンバーを呼び出し始める。どうやらジャム・セッション大会か?
 「オーイ、穴井!!」アクシデンツの穴井仁吉がベースをかかえ再び登場。「ゴジラ、ニャンニャン、コーラスばしやい。エミちゃんも!」あらら、あれは元ヒップスの大田黒恵美! 再度再度のハプニングに、客はただただ呆れるばかり。 ギターは? なかなか決まんない様だが……突如山善、客席に向って「誰かギター弾ける奴!」「俺、弾ける。」こりゃ驚いた!! 客席の中から一人の少年が出て来てステージに登っている! 沸き上がる声援。ドラム・セットの向こうには、 いつのまにか泥酔いした謎人物が不適な微笑みを浮かべ座っている。あれは確か……まあいい、と。
 「よーしッ、ホンキー・トンク・ウィメンいくぜっ! キーは G ね!」これまたイキナリ曲目決定、打合わせも何もあったもんじゃない!! おっと山善、先程のギター少年に何か尋ねている。「お前、この曲弾けるとや?」「知らん」「知らん? あーよかよか。大体わかろうが。」何と!! ギターのリフで始まる曲だというのに何ってこった!! ステージ上では各者入り乱れての大混乱戦で……あっ、スマイリー原島、バケツを持って登場しま、わっ!! ここまで水が!! 何なんだこれは……。

 という風なハチャメチャなジャムをなんとか終えた頃には客も大喜び。中には服をびしょ濡れにされ激怒していた女の子もいた様ようだが。
 この日、真の意味で一番の盛り上がりを見せたこのステージを皮切りに、山善の逆襲は始まったのである!!

 山善の本格的な音楽活動は今を逆上ること、白亜期、いや違う、10年前で、最初は田舎者なるグループで市内のライブハウスを荒し回っていた。そののちスマイルを結成したという学説もあるが詳細は定かではない。 続いて1977年ドリルを結成。このグループもデモテープを作るなど、かなり精力的に活動していたようだ。え!? 山善の担当は何だったかって? 
一応どのグループでもボーカリストだった。しかし山善の場合、単にボーカリストと言うよりも総合的なエンターテイナーと呼ぶ方がふさわしい。通常ロックというと若い人間が楽しむモノと思われがちだが、彼のエンタテイメント性は、 たとえ7〜80才のおばあちゃんでも、たとえ幼稚園の子供でも、一気に興奮の渦に巻き込んでしまうほどのパワーを持ち合わせている。普遍的パワーだ。だから仮に盆踊りの場に出演しても、必ずそこにいる人々を彼のペースに引きずり込んでしまうだろう。 これまで触れた山善の暴力性(彼自身はこれをロックンロールという)とは、まったく違った一面である。
 さてその後彼は田舎者を再結成する。この時のメンバーには、現ロケッツの浅田孟(b.)がおり、現在でも山善と浅田は親友の仲らしい。 そして1979年田舎者解散後、一時のソロ活動こそするが、1980年以降、山善の姿は例年7月1日〜15日の博多祇園山笠の期間中、つまりその2週間を除いて、ほとんど見られなくなってしまったのである。

 「ヤマゼンが動き出した!」この噂を耳にしたのは今年の夏である。しかし毎年この時期になると「冬眠」(彼を知る者はこう言う)から目覚め、全国にその名を知られる祭、博多山笠に参加するなど 一夏暴れるとまたオトナシクなるというパターンを知っている関係者はさほど気にも留めなかった様だ。だが今年「冬眠」の間蓄積したエネルギーの全てを賭ける、その博多山笠に今年は参加しなかった、 という話も聞いた者は皆一様に青褪め直感した。「今年の夏は何かが起きる…。」

 さて逆襲の第一歩を踏み出した山善、ジャンピング・ジャムへのゴリ押し出演の一週間後、今度はFMに乗り込み、「福岡ライブ・エクスプロージョン」で現在の博多のバンドや客等について、「気合いば入れるため」言いたい放題喋りまくった。 この事は知っている人も多いと思う。

 調子づいて来た彼は次に、デモテープを作ると言い出した。メンバーの予定を聞かせてもらうとこれがまたスゴイ。元田舎者、元ショットガンなど、時期を言えばサンハウス以降モッズ以前に活躍していた、知る人ぞ知る錚々たるメンバー、総勢30人!! 18時間で50曲の録音予定!! 普通18時間といえばどう頑張っても10曲ぐらいしか録れないものだ
 おまけに福岡市内から高速道路を利用して約一時間半のスタジオまでバスをチャーターする!! だって。常人ならば話のスケールのデカさに冗談半分にしか耳を貸さないところだ。

 8月19日日曜日、午前8時半、「絶対取材に来てくれ。」という彼の熱心な要望で、ビートマックス特別機動甲装取材班2名は半信半疑で彼の活動拠点である博多千代町に向った。

 山善の実家は博多では老舗の紙問屋を経営している。その「紙ヤマベ」の看板を探すまでもなく、すでに店の前で楽器を手にし大騒ぎしている山善を発見。メンバーも30人とはいかないまでも、もう数人集まっている。 インターチェンジで待っているというバスまで一行十数人を乗せたタクシーは午前九時、千代町を出発。

 「おい本当にバスが来るとうぜ!!」 インターに停車していた中型バスを見たメンバーが口々に叫ぶ。ここでバスに乗り換えいよいよ「マジカル・ヤマゼン・ツアー」(山善談)が始まったのであ〜る。
 車中の様子は写真で見ていただくことにして(これがまた爆笑の渦だった)、フチガミ・レコーディング・スタジオに到着。ところが18時間予約していたつもりが、最終確認を入れなかったとかで、結局午後5時から10時までということになってしまった。
 「山善、どうするとや? 夕方俺他に用事あるけん帰るぜ。」「やかましいっ!!」「曲も構成もなーんも知らんぜ、俺。」「よか!! そのうち教えちゃあ。」「そうもいかんやろうが! スタジオの人も段取りば伝えな出来んやろうが。」
 万事この調子だ。この待ち時間にも突如海水パンツ一丁になって水をかぶって走り回るわ、植木の枝は折りそうになるわ、も〜う大変!!
 ようやく時間が来て、途中から加勢しに来たメンバーなどと一緒にスタジオ入り。この場に及んでようやく構成を決め始める。しかしこういう時の彼の集中力には脱帽してしまう。ペンを握って構成表を書く彼の回りには、エクストプラズマじゃあないが、得体の知れぬエネルギーが渦を巻いているように感じる。 「50曲とか言わんで、時間もあまりないし、3〜4曲に絞った方がよかよ。」というメンバーの意見にようやく納得した彼は、頭の中にあるストック50曲の中からこれぞという曲を選び出し、次々と紙に書き下ろしてゆく。
 いよいよ「録音中」の赤ランプがついた。一曲目はR&B色の濃いシャッフルのナンバー「あいつはヤバイぜ」基本は一発録りだ。 さすがに長年活動している強者達だけに、リハでも一回でOK。録音も3テイク目でOK。
 二曲目は山善得意のミディアム・テンポの曲「ヘイ・ヘイ・ストップ」。山善自らリズム・ギターをとる。リハ終了後スタジオに現れたのがあの穴井貴恵子。「貴恵子ちゃん、リードばとっちゃんってん。」 「えーっ、構成とかどうなってんですか!?」「よかよか。キーはAね。ほら、いくよ!! ワン、ツー…」。 「えーっ!?」と、ワケワカラン状態でイキナリ(しかし山善のこと書いてると、「イキナリ」とか「突然」とかが多いな)リードを任せられた穴井は、それでも充分サマになる演奏を聴かせる。
 それが終ると歌入れ。山善一人スタジオに入る。「照明を切ってください。」 真っ暗な中で一人、全身全霊を込めシャウトする山善。

(歌)無理をしてるんだネ My girl friend そんなに俺を困らせたいの?

 スゴイ迫力だ。録音を終えてミキサー室に入ってきた彼に大きな歓声と拍手。「ピシャーリッ!」
 一応今までの録音を聴いてみる。誰かがそれに合わせて手拍子をとっている。「おっ! それいいね! それ行こう! みんなスタジオに入っちゃりやい。」次から次へハプニングの連続。まるでローリング・ストーンズのレコーディングみたいだ。 さて最後はコーラス入れ。「女性コーラスば入れる。」「そんなこと言うても貴恵ちゃんしかおらんぜ。」 「おーい、そこの受付けの人!!」こうしてスタジオの女子職員やその友人まで動員して、コーラス録りも無事終了。 いつの間にか外は雨が降っている…と思ったとき、大型のバスが敷地内に入って来た!  「うわ、こりゃ本物のバスやない。」なんと帰りのバスまでちゃんと予約してあったのだ。
 ところが山善のゴリ押しダメ押しやりっぱなしのレコーディングに、メンバー全員疲れ果てたのか、「帰りまで一緒じゃカナワン。」と、途中から来たメンバーの車にムリヤリ同乗する者、 迎えの車やバイクで帰る者と、あっという間に全員消え去ってしまった。結局60人乗りの大型バスに山部善次郎ただ一人乗って帰って行ったのである。 バスの中でいったい何があったのか、運転手さんにゼヒ聞いてみたいもんだ。最終的には録音したのは2曲だったが、ともあれ「音がテープとして残っただけでもスゴイ。」 (あるメンバー談)ということで、長い一日は終った終ったのである。しかし山善、2とは言え録音出来た事に満足した途端彼自身もグッタリ来たらしく、なんとマスター・テープも持たず帰ってしまったのである。 キーボードで参加した Captain Hard Rock がそれを見つけ、「おい、どうするつもりかいな、このテープ!? しょうがねえなあ…。」と、なぜか彼がマスター・テープを持って帰るというハメになったのである。

次に出現したのが久留米。8月24日、ザ・モッズのギグ終了後の市民会館楽屋である。 福岡市警固中の一年後輩である森山達也とは旧知の仲なのだ。「森山、ちょっとこれば聴いちゃってん!」とカセットを大音量ボリウム10で鳴らし始めた。 ところがダビングの方法が悪かったのか、えらくスピードが速い。「山部さん何ですか、こりゃ録音がオカシかない?」「やかましっ!! だまって聴け!!」
 とまあこういう具合で、神出鬼没の山部善次郎の足どりを細かく追っていたのでは、とてもじゃないが2ページじゃあ足りない。 それどころか向こうに3年は軽く「山部特集」だけで電話帳みたいな月刊誌だって出せてしまうだろう。 この後9月9日には天神ベスト電器本店屋上で、実に数年ぶりの本格的なライブを行なった。その時の演奏曲は全てストーンズで他のカバーだったが、 「俺のオリジナル!? まあだまだ人に聴かせるとはもったいなか!? レコードが出るまで待っときやい!!」とのことだ。
 狂人か!? はたまた地上最強のロックンローラーか!? 出来ることなら「冬眠」の前になんとかレコード発売!? まで行って欲しいものだ。 ともかく山部善次郎、今年いっぱいの彼の動向ががヒジョーにキョーミ深い。


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