市章の意味

全体は庄原の「庄」を表し,6つの村と1つの町との合併で円く円満に庄原市を構成する意をもって,円く形どり「六」と「一」とを表します。




庄原市街

 庄原市は広島県の北東部,中国地方のほぼ中央に位置し,四百年頃の古墳や古代製鉄 の遺跡が残っており,古来から栄えたことを物語っています。当時,精錬された鉄は福 山方面に運ばれ,その頃から本市を中心に四方に通ずる道路が発達し,中間取引きの場 「市」として発展してきました。江戸時代には,農業発展の基盤づくりのため,豊富な 貯水量を誇る国兼池や上野池が開かれるとともに,豊かな森林資源を生かした薪炭業が 盛んになりました。明治15年(1882)の郡区再編成により,奴可,三上,恵蘇の三郡 の郡役所が庄原に置かれ,昭和29年(1954)3月,旧庄原町を中心に七カ町村 が合併し,現在の庄原市が誕生しました。



国営備北丘陵公園

 国営備北丘陵公園は,名勝・国兼池とアカマツ林の丘陵地約350ha(東西約 3.5km,南北約1.0km)に建設中の中国地方では初の国営公園であり,平成7 年4月に一部開園しました。テーマは”ふるさと・遊び”。3haの敷地に約70種類 の花々が咲きそろう「花の広場」,野外コンサートや各種イベントのできる8haの広 大な「大芝生広場」,雑木林に囲まれ,さとやま屋敷や神楽殿など昔ながらの生活と四 季の行事が再現される「ひばの里」,国兼池を見下ろす小高い丘にUFOスライダーや 日本ピラミットなど楽しい遊具を備えた「林間アスレチック」などが広がっています。 週末には中国地方を中心にした来園客で賑わいをみせています。「星の里」のオートキ ャンプ場なども計画されており,きっと楽しい1日を過ごすことができるでしょう。


大芝生広場


広島県立大学


広島県立大学

 広島県立大学は,「地域に開かれ,21世紀を展望した特色のある大学」をめざして 平成元年(1989)4月に開学しました。経営学部と生物資源学部の2学部4学科 で構成され,平成6年4月には大学院も開学しています。学生数も約千人,市民の憩い の場でもある七塚原は,カジュアルなファッションに身を包んだ学生たちによって,新 たなシーンを展開しています。また,街を歩く学生たち,ハイカラな学生アパート,公 開講座,よいとこ祭への参加,バイオの里づくり活動,中国四川省留学生との交流など 市民とのおつきあいも多岐にわたっています。
 ゼミでの研究,クラブ活動,学園祭,コンパ,ロマンス....学生たちは庄原で過ごし た「この時」をいつまでも忘れないでしょう。



郷土の文豪 倉田百三

青春は短い,宝石の如くにしてそれを惜しめ

「出家とその弟子」「愛と認識との出発」などで知られる文豪,倉田百三は明治24年 (1891)に呉服商の長男として生まれました。52歳の生涯の軌跡は,いかに生 きるべきかを探求する哲学の足跡でもありました。病気,退学,失恋などの苦しみを癒 してくれたのが,宗教的恋人であったとされる上野池でした。当時,倉田家の別荘が上 野池湖畔にあり,この別荘で数多くの執筆をしました。現在,庄原田園文化センターの 中に倉田百三文学館があり,約四百点の作品や遺品等が展示されているほか,市内には 百三の生誕碑,文学碑,短歌碑,墓などが残されています。また,生誕百年を記念して 胸像が建立された百三ひろばや文芸の小路もあり,百三ゆかりの地を辿ることで,文豪 の在りし日を偲ぶことができます。
 百三は言う「青春は短い,宝石の如くにしてそれを惜しめ」と。


倉田百三


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