市章の意味

 呉市の周辺は九つの嶺で囲まれている。これを呉(九嶺)としてあやかり,カタカナの「レ」 で九つの星形にかたどって,中に市の文字を配した。明治36年3月26日制定。



*みなとまち・呉市

 呉市は,いつの時代も海と深い関わりをもってきた街です。穏やかで,美しい瀬戸内海は, この地に多くの幸をもたらし,海上交通の要所として栄えてきました。
 明治22年に呉鎮守府が開庁され,明治35年の市制施行時約6万人の人口も,昭和18年 には40万人を超え,東洋一の軍港,日本一の工廠の街として飛躍的な発展をし,あの戦艦 「大和」を生んだのです。
 戦後は,造船,鉄鋼,機械金属,パルプ等を中心に平和産業港湾都市として生まれ変わり, 瀬戸内海の中核工業都市としての地位を築いてきました。
 現在,街の随所に,「旧呉鎮守府司令長官官舎」,「歴史の見える丘」,「旧海軍墓地」な ど,呉市の歴史をかいま見ることができる施設が数多く残っています。


市街地



*まちを彩る「赤レンガ」

 街を歩いていると,あちらこちらに赤レンガが目につきます。なかでも,入船山記念館・ 美術館を含む一帯や,呉市のメインストリート「れんがどおり」,そして,蔵本通りなど歩道 や建物などに赤レンガがふんだんに使われ,その街並みは,鮮やかな樹々の緑と美しく調和し て,異国情緒さえ漂わせ,歴史ある「みなとまち」の風情を一層醸し出しています。


蔵本通り



*入船山記念館<旧呉鎮守府司令長官官舎>


入船山記念館<旧呉鎮守府司令長官官舎>

 明治22年,洋風木造総2階建の軍政会議所兼水交社として建てられ,明治25年から 呉鎮守府司令長官官舎として使用されました。
 明治38年の芸予地震で崩壊したため,同年,その資材を利用して現在の建物が建てられ, 以後,昭和20年まで呉鎮守府司令長官官舎として使用され,戦後は,昭和31年まで進駐し ていた占領軍の司令官官舎として使用されました。
 昭和42年から一般公開され,昭和43年に広島県重要文化財の指定を受けています。
 平成3年から平成7年にかけて調査,修復工事を行い,明治38年の建築当初の姿に復元し ました。館内の郷土館や歴史民俗資料館では,郷土資料を多数保存,展示しています。
 この建物は,洋館部と和館部からなり,洋館部は英国風ハーフティンバー様式を取り入れ, 屋根は天然スレートの魚鱗葺きとなっています。
 また.周辺は公園化されており,市街地にありながら緑深い自然林の景観を残し.明治時代 の洋風建築を思わせる呉市立美術館や前庭の枯山水の庭園など,落ち着いた雰囲気を醸し出し ています。特に,公園内の美術館通りは,レンガ調のタイルを敷きつめ,現代彫刻を随所に 配置し,「日本の道100選」にも選ばれた美しい通りです。



*音戸の瀬戸公園


音戸の瀬戸公園

 音戸の瀬戸は,呉市とその沖に浮ぶ倉橋島に挟まれた幅約70mの狭い瀬戸で,平清盛が沈 む夕日を金扇で招き,1日で切り開いたと伝えられており,赤いループ橋が映える音戸の瀬戸 から望む海は,とても静かで平和です。時折,船の音がのどかに聞こえ,訪れる人々をくつろ がせてくれます。
 また,呉市側は公園になっており,旧海軍砲台跡地の高烏展望台,吉川英治の文学碑,山口 誓子の句碑,平清盛の日招像,全国の銘木を集めた庭園などが点在するとともに,園内一円に 約8,600本のつつじと約2,300本のさくらが咲き誇っており名所になっています。


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