市章の意味

旧芸州藩の旗印であった「三つ引」にヒントを得て,これに川の流れを表現するカーブをつけて,水都広島を象徴した。 昭和29年5月1日制定。


国際平和文化都市・広島

平和大通り

美しい水と緑につつまれた広島市。しかし,この都市を語るときに「あの日」を忘れることはできません。 昭和20年8月6日,人類史上初の原子爆弾の投下。 天を裂く熾烈な閃光と地軸を揺るがす爆音とともに一瞬のうちに消滅した市街地は,死者・負傷者のあふれる修羅場と化しました。 戦後,広島市は平和都市への道を歩みはじめます。 昭和24年『広島平和記念都市建設法』を公布。 新生・広島の象徴のひとつとして,市の東西を貫く幅100メートルの平和大通りも建設されました。 原爆の犠牲者を肉親・知人に持つ,多くの県民から平和大通りに続々と庭木・苗木などが寄せられ,いつしかここは緑につつまれました。 そして,昭和55年,広島市は10番目の政令指定都市となり,将来の都市像に『国際平和文化都市』をかかげています。 今,二度と犯してはならぬ過ちの象徴として「ヒロシマ」の名は,世界の人々の胸深く刻み込まれています。


世界平和へのメッセージ

毎年8月6日に行われる,平和記念式典

緑豊かな平和記念公園は,2本の川に挟まれた三角州にあります。 ここに架かる元安橋界隈は戦前,広島市の中心繁華街として肩をすりあうほど賑わっていました。 そして戦後,このエリアは恒久平和の願いを込めた記念公園としてよみがえりました。 ノーモア・ヒロシマの象徴・原爆ドームや「あの日」を伝える平和記念資料館などの施設,さらに広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑),祈りの泉,原爆の子の像をはじめとする数多くの慰霊碑,モニュメントが散在。 もの言わぬ語り部として,静かにたたずんでいます。


難工事だった広島城築城

広島城

「鯉城」とも呼ばれ,今も広島市のシンボルとして広く親しまれている広島城。 戦国時代,吉田の郡山城を拠点としていた毛利氏は,元就の孫の輝元の時に沿岸地域に進出しました。 広島の名は,輝元が天正17年(1589)の広島城築城の鍬入れの時に命名したといわれ,当時 「五箇村」と呼ばれる寒村であった広島市の歴史がここから始まります。 「島普請」といわれたほどの難工事と末,広島城と城下町が完成。 それから広島城は400年もの間,広島の変遷を見届けたのち,昭和20年,原爆により全壊しました。 現在の天守閣は昭和33年に再建されたもので中は資料館として一般に公開されています。


広島の母なる川,太田川

都心の河川遊覧が楽しめる,
   広島リバークルーズ

中国山地の山深く,冠山に源を発する太田川。 その清流は,多くの命を生み育てながら約100キロメートルにおよぶ旅をし,やがて広島市のデルタ地域に入ります。 市街にかかると太田川は六つに分かれて街を縦断し,終着点・瀬戸内海に注ぎます。 広島市発展の要因のひとつに,この太田川水系があります。 太田川は中世末以来,近代まで物資運送の大動脈であり,生活用水もこの川に頼っていました。 しかし,多くの恩恵を与えてくれた川も,優しい表情をしているばかりではありませんでした。 広島市に住む人びとを悩ませた度重なる川の氾濫。 太田川放水路の完成によって広島市の街が水害の恐怖から開放されたのは,ごく近年になってからです。 そして今,川はその役割を大きく変えています。 リバーフロントの整備が進み,都心のオアシスとして市民の心を潤す貴重な存在となっています。 道路交通のネックといわれながらも,市民は昔と変わることなくこれらの川を親しみ,「水の都広島」の,独特の風情と景観美を育んできたのです。


街はギャラリー

広島市現代美術館

「ぶらりと街歩きすればアートに出会う」 広島市を歩くと公園や緑地帯のいたるところで数々の野外彫刻を見かけます。 特に比治山公園は文化・芸術のメッカとして新しい名所になりつつあるところです。 散在するオブジェ,そして豊かな緑になか,忽然と姿を現すのが公立初の現代美術館の殿堂,広島市現代美術館です。 「蔵」をイメージしたという,黒川紀章氏設計の美しいフォルムが緑に映え,アンディー・ウォーホール,ヘンリー・ムーア,靉光,横尾忠則など,第2次世界大戦以降を中心にした内外のアーティストの作品を収蔵展示しています。 一方,ドームを回廊で囲む独特の建物を持ち,市街の中心にあるのが,ひろしま美術館です。 ゴッホ,セザンヌ,ピカソ,マネなど,ヨーロッパ近代絵画の豊富なコレクションで知られ,その質・量とも圧倒的で,国際評価も高い美術館です。 また昭和43年以来,広島市ゆかりの作品を精力的に収集,展示してきた広島県立美術館は,現在全面改装中。 平成8年秋に西日本一の規模を誇る美術館としてオープンの予定です。


3Bの街

発達したバス交通

「3Bの街」といわれる広島市。 その三つのBとは,Bus(バス交通),Branch(支店),Bar(酒場)の頭文字。 どれもが飛び抜けて多く,広島市の生活や経済を端的に表わしているといわれています。 広島市街はデルタを干拓して築いた街です。 したがって土地は砂地でできているため,地下鉄がなく,もっぱらバス交通が発達。 市内を網の目のようにバス路線が巡っています。 また,中・四国地方の中枢拠点であることから,企業の支店が多く置かれ,それと相まって飲食街も発展。 全国的に知られている流川・薬研掘界隈の歓楽街を形成しました。


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