「戦後強くなったのは女性と靴下」という言葉がありますが、敗戦当時、買い出しや行商など、様々な工夫をして家族の飢えを乗り切ってきた女性たちの行動は、自然と社会進出をも進めることにもなったのです。 1949年(昭和24)電話交換手のなかに、女性の課長が登場します。男女間の賃金格差もなくなり、職場環境も整備されてゆきます。そんななか、1951年(昭和26年)には、紺のツーピースという上等でスマートな制服がつくられます。これは、後に戦後を代表する雑誌『暮らしの手帖』の編集長となる、服飾研究家花森安治氏のデザインによるもの。交換作業が楽なように、心持ちすその開いたタイトスカートは、機能とデザインにこだわり続けた花森氏ならではの心遣いが感じられます。彼は交換手たちに「働く者こそ美しくなる権利がある」という言葉とともにこの制服を贈りました。