焼け跡となった東京に残された公衆電話は250台。そのうち、まともに使えるものはわずか29台しかありませんでした。。そこで苦肉の策として考え出されたのが「特設通話所」でした。駅前やガード下に事務机を置いた露天公衆電話が設けられ、モンペ姿の交換嬢が店番を努めました。バラック住まいの人々に好評だったのは言うまでもありません。ただし、雨の日は休みだったとか。