昭和46年(1971)9月から、長距離ダイヤル市外通話の利便を図るため、東京、大阪、名古屋の一部で100円硬貨も使用できる公衆電話機が試験的に設置されてきました。 “追加投入の手間がはぶける”、“催促音が気にならない”など利用者に好評なため、昭和47年(1972)12月から正式に採用されました。硬貨投入口が10円用と100円用の2つあるほかは、当初外観は大形青公衆電話機と同じで、正式採用にあたってシンボルカラーは黄色になりました。