昭和29年(1954)、初の鋼製ボックスがお目見えしました。これは全国から公衆電話ボックスのデザインを懸賞募集したもので、クリーム色のボディと丸みを帯びた赤い屋根から“丹頂形”と呼ばれました。モダンな“丹頂ボックス”はただちに仕様化されて、日本全国へと広がり、街角を色どりました。一方、杉の丸太を使用してきた電柱も徐々にコンクリート電柱に変わっていき、街の景観も戦後色を一掃。「もはや戦後ではない」という当時の流行語に象徴されるように、日本人の生活も大きく変わろうとしている時代でした。