“故障だらけ”の泥沼から東京の電話を救い出そうと、1950年(昭和25)大都市特別保守工事が実施されます。乱脈な配線、老朽化の進むケーブル、その取り替えと、機械、線路施設の完全な補修が目的でした。電話設備は、すべて押っつけ主義のあれ放題。ことにビル内の配線は目を覆うような有様だったのです。そんな折り、電話技術のオリンピックが開催されます。腕に覚えありの技術者たちが、青空のもと技を競い、一刻も早い東京の電話復興に夢をはせました。