大地震発生とともに電柱は倒れ、電話局は炎に包まれます。交通機関もストップし、京浜地区は孤立状態となります。この被害の惨状を世界に伝え救援を求めたのが、横浜に停泊していた船から発信される無線電信を受信した銚子や和歌山などの電信局でした。磐城無線局によってホノルルに送信されたニュースは、サンフランシスコ局でも受信され、アメリカの新聞に報道されます。各国から救援物資が届き、復興を大いに助けたと言われています。