アレキサンダー・グラハム・ベル (Alexander Graham Bell 1847〜1922) は、ボストン大学の音声生理学の教授でしたが、電信に興味を持ち、 1本の線で複数の通信を同時に行なえる多重電信の研究にたずさわっていました。彼は、以前から電気的に音声を伝送することにも関心をもっており、電磁石を使って音声を送る方法を考えていました。彼は研究を進め、翌1876年2月14日に特許を申請。この特許をさらに具体化した装置で会話をすることに成功したのは、同1876年3月10日のことでした。その第一声は「ワトソン君、こちらへ来てくれないか」というものでした。その当時、ベルの門下生だった日本人留学生が訪ね、日本語の通話を試みました。同年、ベルが発明した電話はフィラデルフィア万国博覧会にも出展され、大きな話題を呼びました。