京都・映画史 年表 |
1970年 (昭和45) |
3月 |
日本万国博覧会開催 |
4月 | 大映、日活の合弁配給会社「ダイニチ映配」設立 | |
1971年 (昭和46) |
11月 | 日活ロマンポルノ路線に転換 |
12月 | 大映倒産 | |
1972年 (昭和47) |
1月 | 文部省、優秀日本映画に年間1億円の奨励金を交付と発表 |
1973年 (昭和48) |
7月 | 大島渚プロ解散 |
9月 | MGM日本支社業務停止 | |
1974年 (昭和49) |
9月 | 大映、倒産後の紛争解決にともない、新しく大映映画株式会社発足 |
11月 | 東映、山口組との癒着を問われ「山口組シリーズ」製作中止 | |
1975年 (昭和50) |
10月 | 低料金、好企画で人気の「京一会館」廃館 |
11月 | 東映太秦映画村開村
東映太泰映画村 |
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1976年 (昭和51) |
・ | 角川書店社長、角川春樹映画製作に乗り出す |
・ | 「JAWSジョーズ」史上最高の配収51億円達成 | |
・ | 記録映画「彫る」ベルリン映画祭グランプリ受賞 | |
・ | 「デルス・ウザーラ」(黒澤明監督)アカデミー外国語映画賞受賞 | |
1977年 (昭和52) |
・ | 松竹、大船撮影所を分離、松竹映像としてスタート |
・ | 三越、東宝と提携して映画製作に進出 | |
・ | 「八甲田山」「八墓村」のヒットで邦画1本立てが軌道に乗る | |
1978年 (昭和53) |
・ | 独立プロの新日本映画社「あゝ野麦峠」(山本薩夫監督)でスタート |
・ | 東映12年ぶりの本格時代劇「柳生一族の陰謀」がヒット |