花火の歴史

花火のルーツは万里の長城の狼煙

中国山東省や四川省は現在でも硝石の産地として知られていますが、漢の時代(紀元前202〜225年)にはすでに火薬の原料となる硝石が発見されていました。さらに唐の時代(618〜907)には火薬として合成され、宋の大宗(976〜997在位)は火薬を使用した最初の武器が登場しました。それに、硝石は中国の秦の始皇帝(紀元前247〜210・在位)時代に建設が始まった『万里の長城』の狼煙台で緊急連絡用として使われていました。また、12世紀中期から後期にかけ、花火の原型となる爆竹やねずみ花火に近い物が作られ、王侯貴族に限らず庶民が街頭で遊ぶ姿も見られました。その後、アラビア語で『中国の雪』と言われた硝石はシルクロードを通りヨーロッパ方面に伝えられました。


シルクロードを旅した花火のもと『中国の雪』

当時のイスラム諸国には火薬は存在せず、673年にコンスタンチノーブル軍がサラセン軍によって包囲攻撃された時、シルクロードを通って伝わって来た『中国の雪』は、『ギリシア火』と呼ばれる火器に使われ、コンスタンチノーブル軍はサラセン軍を撃退することに成功しました。中国の硝石がシルクロードを通りヨーロッパへ伝わったことがわかります。


花火はステータスシンボル

ヨーロッパの最初の花火は14世紀後半、イタリアのフィレンツェで行われた聖ヨハネ祭で祝祭の見せ物とされた『火を吹く人形』であったと言われています。その後、花火はヨーロッパ全土に広がり、領主や貴族といった一部の特権階級の人達が自分たちの権力を誇示するために、領地や城などで打ち上げられていました。花火は特権階級のステータスシンボルだったのです。イギリスの国王チャールズ5世は初めて王室軍隊に花火師を登用し、載冠式や結婚式、誕生日などにはテームズ川に船を浮かべ、花火を打ち上げていました。17世紀に入ると国王ジェームスは世界最初の花火研究所をテームズ川南岸に設立しました。


日本人で最初に花火を見たのは徳川家康

1589年、伊達政宗が花火を見たとの記録があるが定かではなく、最も信頼できる記録を見ると、日本人で最初に花火を見物したのは徳川家康であることが書かれています。1613年、長崎の平戸に商館を造ったイギリス人、ジョン・セーリスが、国王ジョージ一世の国書をたずさえた正式な使者として駿府を訪れた時、家康と会い、布地や鉄砲、望遠鏡などを献上し、花火を見せたとあります。この花火は、筒を立てて黒色火薬を詰めて点火し、吹き出す火の粉の乱れ飛ぶといったものであったと伝えられています。セリースが長崎から連れてきた中国人が見せたものですか、花火はイギリス製でした。この時代に花火が日本に登場しましたが、ほとんどが外国製であり、鑑賞に堪える大きな花火の大半は外国人によって打ち上げられていました。