Dec. 10, 1996 | Dec. 24, 1996 |
Art Watch Index - Dec. 17, 1996
【「横浜国際写真フェスティバル'96」の出航】 ………………● 飯沢耕太郎
【西海岸ファイン・アートと
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「横浜国際写真フェスティバル'96」
今日の作家展《ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィ1990's》
西川克二《静・動・夜》会場風景
ハリー・チュリエ《RECENT WORKS》会場風景
国際写真フェスティバル(北海道東川町) http://www.eolas.co.jp/ photo-fiesta/index.html
PhotoGuide Japan's PhotoOrganizations
IMI・GSの講師陣/港千尋
IMI・GSの講師陣/伊藤俊治
伊奈英次
今道子
柴田敏雄
畠山直哉
IMI・GSの講師陣/畠山直哉
横浜美術館
The Classic Camera
PhotoGuide Japan's PhotoBulletin
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「横浜国際写真フェスティバル'96」の出航 ●飯沢耕太郎
新しい写真のお祭り
96年10月から12月にかけて「横浜国際写真フェスティバル'96」というイベントが開催された。横浜を中心として20余りの写真展、シンポジウム、ワークショップなどが催される写真のお祭りである。 フェスティバルの問題点と可能性
さて、「横浜国際写真フェスティバル」だが、まだ第一回目ということで、準備の期間も予算も充分とはいえず、いろいろ問題点も目についた。たとえば、参加会場がかなり広い地域にわたるのは仕方がないにせよ、会期が10月から12月までばらばらで、2、3度足を運ばないと全部の企画をカバーできないのは、特に遠くから来る観客にとっては辛い。メインとなる幾つかの展覧会については、同時期にオープンする工夫が必要だろう。また、写真展やシンポジウムの内容がばらばらで、統一的な視点を欠いているのもなんとかすべきだと思う。もちろん、すべての企画が同じテーマでは逆に堅苦しくなってしまうのだが、幾つかのゆるやかなテーマ群を設定することで、フェスティバル全体が一つのメッセージを発するように感じられればいいと思う。 横浜の文化的背景 横浜は1862(文久2)年に日本最古の肖像写真スタジオが下岡蓮杖によって開設されるなど、日本の写真文化の発祥の地の一つである。また89年には写真の常設展示の施設を持つ横浜美術館がオープンし、94年には横浜市が歴史的な写真器材と写真作品から成る「ネイラー・コレクション」を4億円という費用を投じて購入した。今後、このような歴史的・文化的な観点を踏まえて、さらに大きな規模で国際写真フェスティバルを展開していく条件は、既にかなり整っているといえる。今回のフェスティバルは、まだ準備が整わないうちの慌ただしい出航という印象もあったが、次回はよりスケールの大きなイベントの実現を期待したい。 [いいざわ こうたろう/写真評論家]
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《マイク・ケリー新作展“ランド・オー・レイクス”》
マイク・ケリー
ポール・マッカーシー
レイモンド・ペティボン
JOHN WATERS / MIKE KELLEY http://www.voyagerco.com/ gs/gs57/waters.html
Paul MaCARTHY
Raymond Pettibon
Raymond Pettibon
artbooks by shinro ohtake
秋田昌美
Alien8 Recordings: Merzbow
暴力温泉芸者
Violent Onsen Geisha Discography
DESTROY ALL MONSTERS
Destroy All Monsters Japan tour
大竹伸朗/ヤマタカアイ
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西海岸ファイン・アートと ●椹木野衣
西海岸軍団来日! 1996年も年の暮れになって、マイク・ケリー、ポール・マッカーシー、レイモンド・ペティボンという、西海岸のファイン・アートを代表する三者の展覧会が、ここ東京で開催されている。 彼らはいずれも、ニューヨークを中心に展開されてきたファイン・アートをめぐる図式の見直しのなかから80年代になって浮上した作家なので、キャリアは長く、それぞれが70年代より独自の活動を繰り広げてきている。 極東「アングラ」シーンとの接点は?
どちらかといえばヨーロッパとの文化的連続性を強調し、理論的にも展示においてもストイックなニューヨークに対して、サブカルチャーからの影響を隠そうとせず、時に破天荒で作品としてまとまらない西海岸の動向と対比することができそうだが、実際、彼らの作品を東京で受け止めてきた向きも、ファイン・アート寄りというよりは、アンダーグラウンド・シーンとの接点においてであった。 「伝説のバンド」再結成 さて、今回の「西海岸軍団」の来日の最大の成果は、おそらく、デストロイ・オール・モンスターズ(マイク・ケリー参加)の再結成であろう。会場となったラフォーレ原宿には、暴力温泉芸者やヤマタカEYEも参加するということもあって、ふだん美術とは関係なさそうな若い客層で溢れかえっていた。しかし、空前の消費文化の中でおそろしく耳の肥えた日本のこの手の層に金を取って聞かせるのにはあまりにもおそまつなデストロイの正体が暴露されるにしたがって客が通路に溜まりはじめ、なかにはこれ見よがしにバカにするものまで現われる始末。わたしも、美術が音楽をバカにするのもいいかげんにしろと一度は怒りかけたが、ほとんど全曲全編歌詞カード棒読み、終始壊れたままのキーボード、上手くいかない事に対するマイク・ケリーの怒り炸裂、何をやってるのかほとんどわからないビートルズのカバーなどを聞いているうちに、これはもしかすると無茶苦茶無意味な事が起こっているのかもしれないと思い返し、衿を正したい気分になった。まあ、多分の練習不足と基本的に日本(猿)をナメてかかったこと、そして高齢、あとは受け入れ側があまりに立派な「箱」を用意しすぎたのやらなんやらで偶然、こうなったのだとは思うのだが、それにしても凄惨で壮絶な稀に見るライヴであったことはまちがいない。まさに「伝説のバンド」というほかないだろう。 [さわらぎ のい/美術評論家]
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