INTERVIEW 4
INTERVIEW1234
by 南條史生
−−そうすると、そういう観点からファッションをやっていらっしゃるという目から 見て、いまの一般的な意味でのファッションの現状というんですか、それについては どういうお考えがありますか。
津村: そうですね、いまインポートブームなんで、ヨーロッパからのブランドがど んどん入ってきて、雑誌もそういうものをどんどん取り上げて助長して、それで盛り 上がっているから、いいといえばいいんでしょうが、ぼくなんかが見ていると、バリ エーションが少なすぎてつまらないなと思いますね。なんか共産圏かなと思っちゃう ときもありますよね。 ファッションは自由ということを、いろんなバリエーションを求めるのがこの自由 主義の社会でありながら、それを求めた結果は、共産主義も実現できなかった、みん なが一緒ということが行われているというのが、なんか変な現実だなと思ったりもし ますけど…。(笑)
−−それだけのバリエーションとか、違ったものを求めるというのは、ある種のクリ
エーティビティだと思うんですけど…。 そういったクリエーティビティだと思うんですね。そのクリエーティビティという
ことに関係あると思うんですが、一種の造形作家というふうにいっていいんでしょう
か、様々な彫刻的なものもお作りになっていますよね。そのへんの背景というか、お
考えは?
津村: 作ったときには、
−−そうすると、ファッションもそうですし、たとえばアートの作品というものも、 結局は空間の一つの要素、空間を作り上げていくための要素の一つである。そういう 意味では等価である。
津村: そうですね。だから、服も何も着ているだけが服ではなくて、脱いで置いて あるときも、壁にかけてあるときも、一つのオブジェだと思うんですよね。よく服は 着なければ意味がないというんですが、人に着られてはじめて生きる、着るためにあ るというんですが、ぼくは何も着るためだけにあるとは思わないんですよね。 たとえば和服なんていうのは、壁にかけておいて十分絵の代わりとして使っていた わけだし、鎧とか、ああいうものも、オブジェとして飾られるし…。
−−ちょっと待ってくださいね。キタザワさん、電気を切ってよ。 ○○ はい。
−−すると、いろいろなファッション、様々なファッションといいますか、非常に バリエーションというのも大事にしていらっしゃると思うんですが、それはまたクリ エーティビティということとイコールだと思うんですね。そのことと関連があると思 うんですが、いろんな彫刻作品というか、アートの作品というものをお作りになって いらっしゃる。そのへんの発想といいますか、広がりといいますか、もう少し後ろの 背景というものをお聞かせいただけますか。
津村: 服以外にも、パンチカーペットとか、そういう素材を使って、ジャケットに 似たようなオブジェとか、そういうものを作っていたわけなんですが、作っていたと きは、それが何の意味を持つのかなとか、あまり考えていなかったんですね。ただ、 後々ファッションショーとかにそれを背景として利用しだすようになってきてから、 一つの映画のシーンを作る上での小道具の役割を自分はさせているんだなということ に気づきまして、そこではじめてファッションと背景のオブジェとしてのものといい ますか…。
−−そうすると、美術の作品のほうもファッションのほうも同じように、一つの環 境を作るというような意図から出発しているように聞こえるんですが、どうでしょうか。
津村: そうですね。服の背景に自分の作ったオブジェを使うようになってから、や っと自分が作っていたオブジェの意味というのがわかってくるようになりまして、一 つの映画的な環境を自分は作っているんだな。服もその小道具の一つであり、モデル さんにしても、演出一つとっても、背景に来るオブジェにしても、照明にしても、全 部ファッションショーのなかという一つのシーンを構成する要素を、自分はいままで イメージして作ってきたんだなと思いますね。
−−かつてといいますか、そんなに古いことじゃないんですが、都市は劇場であると
よく言いましたね。雑誌なんかでも出てきましたが、あんな感じというのはずっとお
持ちになっていたんですね。
津村: そうですね。ショーをやるようになりまして、よりそれが強くなったんで
すよ。たいがいは演出家の方とかを入れてしまうんでしょうが、ぼくの場合はそれを
最初のうち
−−そうすると、逆にものを作るときに、たとえばこれはファッションである、これ はアートである、これは建築であるといったような境目というのは、あまり意識して いないということになりますか。
津村: そうですね。すべてがやはり小道具ですし、見方によっては何とでも見られ るわけなんで、よくファッションはアートかとか何とかとあるんですが、それほど意 識はしていないですね。だから、どっちかといえばアートですと言っちゃっておこう かなと、そう言っちゃっておいたほうが話としてはおもしろくなるかなと思うので、 ぼくの場合はファッションもアートだと言っちゃっているんですけど…。
−−ぼくなんかは、アートというのはたとえば彫刻だからアートだというふうには思 わないんですね。やはりあるものを人間が作ったときに、その後ろにあるものの考え 方がアートかどうかを決めてくれるんじゃないか。だから、たとえばファイナルホ ームみたいなものというのは、機能の話もあるし、いろいろストーリーがあるという ことなると思うんですが、それが人間の生き方についてある洞察を含んでいるという ところで、アートになっていくような気がするんです。
津村: ええ、そうですね。それに、アートのほうが高級かどうかというのも、最近 はよくわからなくなってきましたし、むしろアートということで固定化しちゃう部分 も出てきちゃいますし…。ただ、いろんな観念を変えていく上では、ああいうものを アートの領域に入れちゃったり、ファッションの領域に入れちゃったりとか、いろん なところに入れちゃったほうがかき回せていいなとは思うんですけど…。
−−ぼくなんかが思うのは、アートというのは、たとえば建築を考えたときに、この 建築はアートでありうるかという問いはあると思うんですよ。しかし、建築はアート かといったら、そうじゃないですよね。たとえば建て売りの住宅もあるわけですが、 それもすべてアートに入れるわけにいかないとなってきたときに、建築というジャン ルがアートかどうかという問い自体が成立していない。つまりファッションはアート かという問いがもともと成立しない問いである。そのなかの何かかはアーティスティ ックであって、何かはアーティスティックではないというふうに考えているんですよ。
津村: なるほど。
−−だから、アートというのはある種のメタ概念である。ジャンルを超えて、その 上か下かは別として、それを貫く別なフィールドであるというふうに考えるんですね。
津村: なるほど。
−−だから、先ほどちょっと申しあげたように、ファイナルホームみたいな人間に ついての、人間の生き方とか、これからの人間のあり方とか、いまの人間についての コメントとしての洞察が含まれているものは、アートになっている。だから彫刻でも 、そういうものがないものはアートにならない、逆にいえば。何万人かの日曜画家が 描いている絵すべてが、これは芸術であるというふうに言えるかという問題があるわ けですよね。そんなふうにぼくは思っていますけど。
津村: そうですね。
−−いま舞台のなかの小道具を作っているというふうにおっしゃったんですが、そう すると結局は中心は人間であるということになると思うんです。その人間というのに ついてどういうふうにお考えになっていますか。ずいぶん漠然とした問いですが…。
津村: そうですね。人間がどこにいてもいちばん自然だと思うんですよね。都市は 人工的な空間なんで、自然がかなり排除されているなかで、ちょっとした木か、その へんをウロウロしているネコか、カラスか、人間かみたいに…。ただ、いちばん目に 触れる動物なんで、うざったいというか、いちばん何とかしなくちゃならない対象で すね。だから、やはり自分に危害を加えるのもたぶん人間だろうし、安心感を与えて くれるのも人間だろうし、いちばんコントロールしづらいのも人間じゃないか。そう すると、やはりそれについて考えざるをえないということはありますね。 ファッションデザイナーというのは、そういう人たちに、こういうものを着ろとか 言っているんだから、相当横暴な職業かなとも思ったりもするんですけど…。
−−そうなると、あれですね。自然というものが外に広がっていて、人工の都市とい うものがあって、そのなかにまた自然そのものである人間がうごめいている。
津村: ええ、そうですね。ホッとする場面でもあるわけですけど…。生身ですからね。
−−そうすると、たとえばアートを作っていらっしゃるときも、そこに人間がいなく ても、この前に人間がいたらどうなるかというような発想があるんですか。
津村: いや、最初のうちは全くなくて、ただ自分の作りたいという気持ちだけで作 っていたわけなんですが、やはりファッションショーなんかにそれを使い出してから 、それを見ている人間がいたりとか、その前に自分がイメージした服を着た人が立っ ているとかという姿のほうに、興味が行くようになりましたよね。だれも見ていない し、だれも立っていないところに、あるオブジェが立っていたりするのは、何の意味 があるのかよくわからないですよね。
−−やはり人間が中心である。
津村: ええ。それがたとえば一つの写真のなかに人間が一緒に写っていなくてもい いんですが、それについて語るのも人間ですから、そこには会話というものが付加さ れてくるし、やはりただだれも目にも触れず立っているか、岸壁に咲く花のようなも のを、自然でない限り人間は作れないんじゃないかなと思うんですよね。だれも見な いところ、だれも見に来ないし、だれも話さないようなところのものは、やはり作ら ないだろう。何かしらのコミュニケーションの手段だろうとは思うんで…。
−−そうですよね。建築なんか見ていると、時々非常にデザインが強くて、そこに人 間が来ると邪魔だというようなやつがありますね。(笑)そういうものについてはど う思われますか。
津村: そうですね、いままでそういうものってすごくあったのだろう。たとえば何 というんですか、ゴチャゴチャしている…。
−−バロックですか。
津村: バロックですね。バロックなんかでも、これは何のための建築なんだろうと 思ったりもするし、たとえば仏教なんかでいうお寺とか、ああいうものもかなりゴチ ャゴチャしていて、坊さん以外はそこに入るのは似合わないなとか思ったりもするし 、やはり日本の神社に行くには神社に行くスタイルで行かないと似合わない。洋服は 似合わないなと思ったりもするんですよね。 そう考えると、かなりその建築の前に立つファッションというのは、けっこう似合 う似合わないでいうと限定されているんじゃないかなと思うんですよね。たとえば宇 宙基地のような建物を作っちゃったとしたら、その前に立つべきファッションは、や はり科学特捜隊のような格好がいちばん合うだろう。そこまでやってくれたらおもし ろないと思いますね。
−−そうすると、やはりファッションはTPOの問題だろう。着る側の一種の選択、 そこに出てくるセンスとか、ある種のクリエーティビティとか、そういうものもかな り重要である。
津村: ええ。とくに日本の都市なんていろんなスタイルの町並みがあるんで、一つ のファッションをしながらその周りを通りすぎたときに、合う背景、合わない背景、 また合う背景、合わない背景というふうに、いろいろ変わっていっちゃうんですよね 。だから、ファッションそのものもカメレオンのように、そのときにバッバッバッと 変われば、いつも合う背景の姿でいられるんでしょうが、日本はそのへんがすごくゴ チャゴチャなんで…。だけど、これを一つのスタイルに統一しよう。たとえば江戸時 代のように、たとえば統一しろとかということには、ぼくはなっていかないんじゃな いかなと思うんですよね。 そうすると、ある程度このゴチャゴチャした状況そのものが、全然合わない。何も かもが合わない状況そのものが、日本のいまの姿かなと。それをファッションにして 出していきたいなと思っているんです。
−−わかりました。