石燕曰く |
真那古の庄司が娘、道成寺にいたり、安珍がつり鐘の中に
かくれ居たるをしりて、蛇となり、その鐘をまとふ。
この鐘とけて湯となるといふ。或曰道成寺のかねは、
今京都妙満寺にあり。その銘左のごとし
紀州日高郡矢田庄
文武天皇勅願所道成寺冶鐘勧進比丘別当
法眼定秀檀那源万寿丸并吉田源頼秀合山諸檀越男女大工
山願道願小工大夫守長延暦十四年乙亥三月十一日
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解説 |
道成寺(和歌山県日高郡河辺町鐘巻)には、「道成寺縁起」
(室町時代の作)があり、境内には鐘を埋めた「安珍塚」、
鐘楼跡と伝えられている「鐘巻の跡」があります。その縁起絵巻によると、
若い僧に惚れた女が蛇身に化して僧を追いかけ、鐘の中に逃げ込んだ僧を
鐘ごと取りまいて焼き殺し、鐘まで溶けてしまったということです。
その鐘は、さまざまな経緯を経て、京都岩倉幡枝の妙満寺にあります。
正平十四年(1359)の鋳造で道成寺鐘の銘があるそうです。
謡曲「道成寺」や歌舞伎「京鹿子娘道成寺」、文楽「日高川入相花王」でも
有名で、江戸時代には安珍・清姫としてさまざまな芸能になっています。
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